- 1:風吹けば名無し@\(^o^)/:2015/09/28(月) 22:07:50.28 ID:T+yIFC8E0.net
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オスマンやろなぁ

オスマン帝国(オスマンていこく、オスマントルコ語: دولتِ عليۀ عثمانيه, ラテン文字転写: Devlet-i ʿAliyye-i ʿOs̠māniyye)は、テュルク系(後のトルコ人)のオスマン家出身の君主(皇帝)を戴く多民族帝国。
15世紀には東ローマ帝国を滅ぼしてその首都であったコンスタンティノポリスを征服、この都市を自らの首都とした(オスマン帝国の首都となったこの都市は、やがてイスタンブルと通称されるようになる)。17世紀の最大版図は、東西はアゼルバイジャンからモロッコに至り、南北はイエメンからウクライナ、ハンガリー、チェコスロヴァキアに至る広大な領域に及んだ。 アナトリア(小アジア)の片隅に生まれた小君侯国から発展したイスラム王朝であるオスマン朝は、やがて東ローマ帝国などの東ヨーロッパキリスト教諸国、マムルーク朝などの西アジア・北アフリカのイスラム教諸国を征服して地中海世界の過半を覆い尽くす世界帝国たるオスマン帝国へと発展した。
その出現は西欧キリスト教世界にとって「オスマンの衝撃」であり、15世紀から16世紀にかけてその影響は大きかった。宗教改革にも間接的ながら影響を及ぼし、神聖ローマ帝国のカール5世が持っていた西欧の統一とカトリック的世界帝国構築の夢を挫折させる主因となった。そして、「トルコの脅威」に脅かされた神聖ローマ帝国は「トルコ税」を新設、中世封建体制から絶対王政へ移行することになり、その促進剤としての役割を務めた[4]。
しかし17世紀末頃から徐々に衰退して、その領土は蚕食され急速に縮小。挽回を図り対ロシア攻略を主目的に第一次世界大戦に参戦したが、敗戦により帝国は事実上解体。1924年、ついに最後まで残っていた領土アナトリアから新しく生まれ出たトルコ民族の国民国家、トルコ共和国に取って代わられた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%B3%E5%B8%9D%E5%9B%BD
- 2:風吹けば名無し@\(^o^)/:2015/09/28(月) 22:08:11.16 ID:n+rt80MA0.net
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神聖ローマ帝国だぞ

神聖ローマ帝国(しんせいローマていこく、ドイツ語: Heiliges Romisches Reich, ラテン語: Sacrum Romanum Imperium, イタリア語: Sacro Romano Impero, 800年/962年 - 1806年)は、現在のドイツ、オーストリア、チェコ、イタリア北部を中心に存在していた国家[1][2]。1512年以降の正式名称は「ドイツ国民の神聖ローマ帝国」(ドイツ語: Heiliges Romisches Reich Deutscher Nation)である[nb 1][nb 2]。帝国の体制は皇帝の権力が諸侯によって弱められることにより、中世から近世にかけて変化した。最後の数世紀にはその体制は諸領域の連合体に近いものになっている。現在のドイツ、オーストリア、ベルギー、チェコ、リヒテンシュタイン、ルクセンブルグ、モナコ、オランダ、クロアチア、サンマリノ、スロベニア、スイス、フランス、イタリア、ポーランドを支配(連合国も含む)した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/神聖ローマ帝国
- 32:風吹けば名無し@\(^o^)/:2015/09/28(月) 22:14:12.63 ID:+eV8EY0+0.net
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>>2
神聖でもローマでも帝国でもない国はNG
いうて初期三王朝くらいまでは帝国か
「省略されました。全てを読むにはここを押してください」
































































































