

母親にピアノの手ほどきを受けた後、スクリャービンの薫陶を受けたカナダ人女性ピアニスト、ジャーヌ・ラヴォワ=エルツ(Djane Lavoie Herz)に師事。アドルフ・ヴァイディヒとチャールズ・シーガーに作曲を師事。1930年に、女性作曲家としては初めてグッゲンハイム奨学金を給付され、ベルリンに留学。
1932年にシーガーと結婚して、クロフォード=シーガーとなる。大恐慌中に極左的な政治信念を抱いて、民族音楽学の研究や、ロマックス兄弟らのための民謡の採譜に勤しむかたわら、育児を続けた。長男ピート(夫チャールズの連れ子)、次男マイケル、長女ペギー・バーバラもそれぞれ音楽家となり、フォークソングの世界で活躍した。1936年に家族を挙げてワシントンD.C.に移り、米国議会図書館に奉職してロマックス兄弟のために民謡集『我らが歌の国 Our Singing Country』『アメリカ民謡 Folk Song USA』を編纂。クロフォード=シーガー自身の曲集『アメリカ童謡集 American Folk Songs for Children』は1948年に刊行された。この時期には、アメリカ民謡《リソルティ・ロソルティ Rissolty, Rossolty》を室内オーケストラのために編曲している。
1953年、メリーランド州シェヴィ・チェイスにて癌のため急逝。その直前に完成された《木管五重奏のための組曲 Suite for Wind Quintet》(1952年)では、原点のモダニズム音楽に立ち返っている。
《1931年の弦楽四重奏曲 String Quartet 1931》(トーン・クラスターを用いた緩徐楽章が、後に弦楽合奏のための《アンダンテ》として編曲された)や、合唱曲《2つのリチェルカーレ Two Ricercari》、カール・サンドバーグ歌曲集などがある。サンドバーグは彼女を民謡の世界に導いた人物でもあった。
ルース・クロフォード=シーガー - wikipedia
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