Great_wall_of_china-mutianyu_4





1: 以下、暇人がお送りします:2014/03/16(日)
そういえば、はじめて見たわ… 「万里の長城の終着点」って存在するんだよな。確かに

6cc5a026fd7cd67d82d13494ecccbe1635cd782f1394872800

万里の長城、海に突き出た東端の要塞「老龍頭 (老龙头)」

詳細はこちらから

山海関(さんかいかん)は、万里の長城の一部を構成する要塞。河北省秦皇島市山海関区に所在。華北と東北の境界である、河北・遼寧省境が渤海に会する位置にある。2009年に中国政府が遼寧省虎山の虎山長城が長城の東端と訂正するまで、山海関から延びた城壁が海岸から突き出た「老龍頭」が長城の東端とされていた。「天下第一関」と称されるが、これは山海関の著名性を表したものではなく、東から数えて最初の関所であったことを示す。 明代は山海関より西側を「関内」と称し、東側の満洲を「関東」もしくは「関外」といった。かつて日本の租借地であった関東州や、そこに駐留した関東軍の名称もこれに由来する。
http://ja.wikipedia.org/wiki/山海関


【Twitterの反応】


すげぇ……  


知らなかった。まさか海とは。  


こんな状態だったんですね。そうすると反対側の終着点(出発点?)はどうなっているんだろうか?と気になります。  


万里の長城は枝分かれが沢山あるし、年代ごとにルートが違うのもあるので末端はあちこちにあるだろう。でも、整備してないとただの岩山にしか見えないのでここまで綺麗なのは分かりやすくて良い。 /  


「万里の長城」の東端部。いつか行って見たいかも。  

【関連】万里の長城の終着点


万里の長城の東端

虎山長城

450px-虎山長城

800px-虎山長城3

虎山長城(こざんちょうじょう)は、中華人民共和国遼寧省丹東市寛甸満族自治県虎山鎮虎山村に位置する明代の長城東端の遺構である。

明の成化帝の成化5年(1469年)に造られた。建造した目的は勢力を強めた後金と海上の外敵の侵入に防ぐためであった。しかし、明末期になると満洲人の後金(のちの清)の勢力下になり、破棄された。

1989年、空から遼寧省の長城を調査して明書の通りに、虎山から始まり西へ撫順、瀋陽、遼陽、鞍山、錦州を通じて河北省との境界の山海関長城までつながっていることを確かめられた。虎山の600数mの長城の遺跡を発掘し、1990年、羅哲文などの長城の専門家の学者らによる実地調査で、明の時代の長城の東端の起点と認定された。それまで山海関が東端とされていたが、この発見により中国長城は1000数km延長させて虎山を長城の東端と言い換えた。1992年に380万元を投資して、600数メートルの虎山長城を修復し、初めて長城の最東端の全容が現れることとなった。さらに2000年2230万元を投資し1000数メートルの長城の主体の修復を完成した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/虎山長城


万里の長城の西端ってどこ?


明代の長城

嘉峪関にある「北大河の絶壁」です。(北大河は川の名前です。川岸が絶壁になっています)

嘉峪関

800px-JiayuguanFort

嘉峪関(かよくかん)は中華人民共和国甘粛省嘉峪関市に位置する万里の長城最西部に位置する関。山海関と共に万里の長城で要衝であった。

嘉峪関は周囲733mを高さ11mの城壁に囲まれ、内域は33,500m2以上である。黄土を版築でつき固めた城壁であり、西側は煉瓦を積み重ねて出来ている。東西にそれぞれ楼閣(門楼)と甕城を持つ城門を備え、東を光化門、西を柔遠門という。西門には「嘉峪関」の扁額がかかっている。関の南北は万里の長城とつながり、城壁の隅角部には櫓が設けられている。2つの門の北側には関の最上部に上ることが出来る通路がある。嘉峪関の防御設備は大別して内郭、外郭、堀の3つとなっている。

万里の長城につながる関の中で唯一建設当時のまま残される建造物である。最東端にある山海関が「天下第一関」と称されるのに対し、嘉峪関は「天下第一雄関」といわれている。東西シルクロードの要衝の一つであり、周囲には敦煌莫高窟のような著名な史跡が存在し、多数の漆喰壁画が見つかっている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/嘉峪関


明代の長城の西端

1.長城の西端
  北大河の絶壁でぷっつり途切れていて、大きな物見台があります。

115-1513_IMG2

115-1521_IMG1

・嘉峪関からの眺め

115-1533_IMG2

漢代の長城

・敦煌の西にある「玉門関」です。(実際にはもう少し西に伸びてたらしいですが、現存していません)

玉門関

800px-Yumenguan

玉門関(ぎょくもんかん)は中華人民共和国甘粛省敦煌市の北西約90kmにある、かつて建設されたシルクロードの重要な堅固な関所の1つ。漢と唐2度に渡り建立された。現存するの玉門関遺跡は唐代のものである。俗称は小方盤城。

元来は漢代に武帝が河西回廊を防衛する目的で、長城をこの地域に建設し紀元前108年から107年にその最西端に建造されたとされる。その後、六朝時代には交通の要綱として栄え、唐代に再建された際は安西の東側に建設された。同じく南西に設置された陽関とともに、西域交通で北ルートを通ると玉門関、南ルートでは陽関を通過していた。宋代になって西域交通が衰え、衰退した。

玉門関は、中国で古代より文化人が辺境の地での戦いや孤独な生活を思い詠嘆する地で、唐代の詩人王之渙は「羌笛何須怨楊柳、春風不度玉門関」(羌笛何ぞ須(もち)いん楊柳を怨むを、春風渡らず玉門関)と詠んでいる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/玉門関


漢代の長城の西端

114-1469_IMG1

114-1481_IMG1

詳細はこちらから