

万里の長城、海に突き出た東端の要塞「老龍頭 (老龙头)」
詳細はこちらから
http://ja.wikipedia.org/wiki/山海関

知らなかった。まさか海とは。

こんな状態だったんですね。そうすると反対側の終着点(出発点?)はどうなっているんだろうか?と気になります。

万里の長城は枝分かれが沢山あるし、年代ごとにルートが違うのもあるので末端はあちこちにあるだろう。でも、整備してないとただの岩山にしか見えないのでここまで綺麗なのは分かりやすくて良い。 /

「万里の長城」の東端部。いつか行って見たいかも。

虎山長城


虎山長城(こざんちょうじょう)は、中華人民共和国遼寧省丹東市寛甸満族自治県虎山鎮虎山村に位置する明代の長城東端の遺構である。
明の成化帝の成化5年(1469年)に造られた。建造した目的は勢力を強めた後金と海上の外敵の侵入に防ぐためであった。しかし、明末期になると満洲人の後金(のちの清)の勢力下になり、破棄された。
1989年、空から遼寧省の長城を調査して明書の通りに、虎山から始まり西へ撫順、瀋陽、遼陽、鞍山、錦州を通じて河北省との境界の山海関長城までつながっていることを確かめられた。虎山の600数mの長城の遺跡を発掘し、1990年、羅哲文などの長城の専門家の学者らによる実地調査で、明の時代の長城の東端の起点と認定された。それまで山海関が東端とされていたが、この発見により中国長城は1000数km延長させて虎山を長城の東端と言い換えた。1992年に380万元を投資して、600数メートルの虎山長城を修復し、初めて長城の最東端の全容が現れることとなった。さらに2000年2230万元を投資し1000数メートルの長城の主体の修復を完成した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/虎山長城
万里の長城の西端ってどこ?
明代の長城
・嘉峪関にある「北大河の絶壁」です。(北大河は川の名前です。川岸が絶壁になっています)

嘉峪関(かよくかん)は中華人民共和国甘粛省嘉峪関市に位置する万里の長城最西部に位置する関。山海関と共に万里の長城で要衝であった。
嘉峪関は周囲733mを高さ11mの城壁に囲まれ、内域は33,500m2以上である。黄土を版築でつき固めた城壁であり、西側は煉瓦を積み重ねて出来ている。東西にそれぞれ楼閣(門楼)と甕城を持つ城門を備え、東を光化門、西を柔遠門という。西門には「嘉峪関」の扁額がかかっている。関の南北は万里の長城とつながり、城壁の隅角部には櫓が設けられている。2つの門の北側には関の最上部に上ることが出来る通路がある。嘉峪関の防御設備は大別して内郭、外郭、堀の3つとなっている。
万里の長城につながる関の中で唯一建設当時のまま残される建造物である。最東端にある山海関が「天下第一関」と称されるのに対し、嘉峪関は「天下第一雄関」といわれている。東西シルクロードの要衝の一つであり、周囲には敦煌莫高窟のような著名な史跡が存在し、多数の漆喰壁画が見つかっている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/嘉峪関
明代の長城の西端
1.長城の西端
北大河の絶壁でぷっつり途切れていて、大きな物見台があります。


・嘉峪関からの眺め

漢代の長城
・敦煌の西にある「玉門関」です。(実際にはもう少し西に伸びてたらしいですが、現存していません)

玉門関(ぎょくもんかん)は中華人民共和国甘粛省敦煌市の北西約90kmにある、かつて建設されたシルクロードの重要な堅固な関所の1つ。漢と唐2度に渡り建立された。現存するの玉門関遺跡は唐代のものである。俗称は小方盤城。
元来は漢代に武帝が河西回廊を防衛する目的で、長城をこの地域に建設し紀元前108年から107年にその最西端に建造されたとされる。その後、六朝時代には交通の要綱として栄え、唐代に再建された際は安西の東側に建設された。同じく南西に設置された陽関とともに、西域交通で北ルートを通ると玉門関、南ルートでは陽関を通過していた。宋代になって西域交通が衰え、衰退した。
玉門関は、中国で古代より文化人が辺境の地での戦いや孤独な生活を思い詠嘆する地で、唐代の詩人王之渙は「羌笛何須怨楊柳、春風不度玉門関」(羌笛何ぞ須(もち)いん楊柳を怨むを、春風渡らず玉門関)と詠んでいる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/玉門関
漢代の長城の西端


詳細はこちらから
|
|
1 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 01:06 ▼このコメントに返信 昔の中国人は今の中国人より頑張り屋だな
2 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 01:09 ▼このコメントに返信 素晴らしい文明が栄えてたのに
共産党になってからことごとく消えたな
今の中国に文化・芸術・哲学・何も存在しないわ
3 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 01:11 ▼このコメントに返信 昔の中国と今の中国は全然違うな
どうしてこうなった
4 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 01:12 ▼このコメントに返信 スケールが違うなあ。始皇帝は労働者を酷使し過ぎだ。そんなに騎馬民族が怖かったんかwww
5 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 01:13 ▼このコメントに返信 万里の長城と聞いてすぐ思い浮かべるような
重厚な造りの防壁というのは実は少数派で
大半が人の背丈と比べてもそう大きくない土塁だと聞いたことがある。
長城の材料はほぼ現地調達なので手に入りやすい土で造ることが多く、
高さも主要な抗争相手である遊牧民の機動力である馬や
食料になる羊が飛び越えられない程度であれば
最小限の用は足せたのだとか・・・
6 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 01:16 ▼このコメントに返信 なあなあな感じで無くなってんのかなと思ってたけどきっちり海まで行ってるのか、見直した
西はよくわからん感じになってるが
7 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 01:18 ▼このコメントに返信 実際行ってみると写真で見るよりかなり勾配が急なんだよな
スピンダッシュが必要な理由が分かったわ
8 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 01:18 ▼このコメントに返信 クラッシュバンディクー
9 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 01:20 ▼このコメントに返信 米2
別に共産党のせいってわけでもないけどね。
共産党が支配するずっと前からもう中国は駄目駄目だった。
その駄目駄目の結果として今の中国があるんであって、共産党どうこうの問題はあまり関係無い。
共産党が無くてもどのみちこうなってた。
10 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 01:21 ▼このコメントに返信 米5
まぁ馬さえ防げたら後は人対人だからそれほど驚異は無いわな
11 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 01:29 ▼このコメントに返信 中国は定期的に種族変わるしな
12 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 01:32 ▼このコメントに返信 老龍頭ってなんかラオシャンロンの頭っぽいな。
13 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 01:33 ▼このコメントに返信 万里の長城は半分ぐらいが失われているんだけど
その原因第一位は、現地の人が家を作るのに壁を壊して材料にしちゃうから。
現地の人は万里の長城を知らないか、知っていても自分が壊しているのがそうだとは知らないらしい。
教育は大事だねっていう話
14 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 01:36 ▼このコメントに返信 今の中国は嫌いだけど
昔の規模の大きい建造物とか見るとわくわくするから好きです
15 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 01:39 ▼このコメントに返信 大国っていうけれど、数千年のビビり国家。
16 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 01:40 ▼このコメントに返信 形式的にまとめるのは読み手からするとラクして手抜きしてるようにしか見えないぞ
17 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 01:41 ▼このコメントに返信 万里の長城の内の一般的な観光地(北京から行き易い)の八達嶺なら行った事有るが、山の上+結構な階段と坂でしんどかったわ
18 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 01:44 ▼このコメントに返信 アサクリのビューポイントあるやん
19 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 01:46 ▼このコメントに返信 観光地として保存される前は地元の農民に「いい石材がある」って感じで壊されて家の材料にされてたよ。それでほとんど消えた。
20 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 01:46 ▼このコメントに返信 古代中国は本当に偉大な文明だったからな。
それが、なんでこんなどうしょうもない体たらくになっちまったんだろうな。
21 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 01:51 ▼このコメントに返信 米16
個人的にはその後コメ欄見れば満足かなー
ネタ記事で>>1のみじゃ嫌だけど・・・
22 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 01:56 ▼このコメントに返信 米2
例え国民党が勝利して国民党政権だったとしても、長い戦乱で芸術分野の衰退は避けられなかっただろうから、共産党はその衰退スピードを自ら早めただけなんだな。
もちろん、現実より「若干文化的」になる程度の違いだけども。
23 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 01:58 ▼このコメントに返信 中国共産党に責任がある。
24 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 02:00 ▼このコメントに返信 だんだんしょぼくなって有耶無耶な感じに消失してるんだと思ってた>端っこ
25 名前 : 以下、VIPにかわりまして暇人がお送りします投稿日:2014年03月17日 02:04 ▼このコメントに返信 モトレーサーかなんかで万里の長城をオフバイクで走る面があって面白かったなぁ。。。
26 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 02:07 ▼このコメントに返信 昔は「回り込めばいいんじゃね」って思ってたけど海なら仕方ないな
というかあんな長いものを軍引き連れて回り込めないよなwww
27 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 02:11 ▼このコメントに返信 しかしコレほどの防壁を作らねばならなかったとは敵のスケールも半端ないな
28 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 02:22 ▼このコメントに返信 しかし、そんなに高くもないし、防壁も1重にすぎないわけで。
防御兵を隙間なく並べるのも無理だし、数か所大規模な攻撃しているすきに
簡単に突破できるだろ。
29 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 02:34 ▼このコメントに返信 数千キロって途方もないな……
30 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 02:44 ▼このコメントに返信 今でも万里の長城の石って買えるのかなw
現地住民が長城を破壊して売ってるって聞いたことあるけど
31 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 02:54 ▼このコメントに返信 米28
ある地点からしか敵が湧いてこないんだから突破された時の制圧もしやすいのでは?
32 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 02:56 ▼このコメントに返信 西の端?は昔のテレビで緒方直人が追っていったな
端っこのひとつという事になるんだろうけれど
草木もなく、壁とも言えないほど痕跡が残っていなかった
なんかロマンを感じる番組だった
33 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 03:01 ▼このコメントに返信 嘉峪関行ったわ
あの辺めっちゃ良かった
34 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 03:06 ▼このコメントに返信 実物見ると本当に人間が作ったのかと思うくらいすげえよ
昔の日本とかゴミに見えるくらいの人の数、物量
35 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 03:09 ▼このコメントに返信 終点っつ〜か、いろんな国がてんでんばらばらに作ってたもんを秦王政が、むりやりくっつけたもんだろ?
どこが始まりだとか、秦王政自身がわかってなかったんじゃないのか?
36 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 03:16 ▼このコメントに返信 中国のことだから端っこは適当に作ってて、砲弾受けたときみたいに崩れてると思ってたわ
37 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 03:23 ▼このコメントに返信 ※28
遊牧民とか馬が超えられなきゃいいんだからそこまでの防御目的じゃないんだよ
歴史の授業寝てたんか
38 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 03:31 ▼このコメントに返信 羌笛何ぞ須いん楊柳を怨むを、春風渡らず玉門関
39 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 03:42 ▼このコメントに返信 これ春光じゃなかった?
ともかく良い詩だ…
40 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 03:42 ▼このコメントに返信 これ作る為に、何人の人間が死んだのかと思うと、複雑な気分だ。
41 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 03:47 ▼このコメントに返信 マリオカートしたら面白そう
42 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 03:48 ▼このコメントに返信 今の長城が明の時代に再建されたものだということは意外と知られていない。
43 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 03:55 ▼このコメントに返信 確かめてないけどGoogleの人は歩いてないのかな
44 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 04:01 ▼このコメントに返信 あんな砂地っぽい処でしかもめっちゃ波立ってる場所に建ててまだ現存してるってすごいな
45 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 04:20 ▼このコメントに返信 民族が違うから今と比べても仕方がない
46 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 04:32 ▼このコメントに返信 恵まれた文化から糞のような体制
47 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 04:55 ▼このコメントに返信 すげえ徹底的だなあ・・・
48 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 05:22 ▼このコメントに返信 ※4
そら農耕民族が1年かけて汗水垂らして農作物作った所へ
収穫期見計らってわんさか押し寄せて来て
女子供諸共かっさらって行くから脅威も脅威
狩りを至上としてるから人様が苦労して育てたんだとかそういう事一切考えない
おまけに狩りに慣れてる所為でやたら強い
49 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 05:34 ▼このコメントに返信 知ってた
つーか行った
50 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 06:21 ▼このコメントに返信 中国もそろそろ壁を壊してひとつになる頃合いだよなw
51 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 07:12 ▼このコメントに返信 文化革命で多くの知識人が失われた。今の中国人はもはや昔の中国人ではない。
52 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 07:27 ▼このコメントに返信 オケアノスや
53 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 07:46 ▼このコメントに返信 素晴らしい文明…?ドンパチしかしてない文明が素晴らしいのか?
54 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 07:47 ▼このコメントに返信 浪漫を感じる
55 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 07:49 ▼このコメントに返信 戦いの基本は昔も今も相手に戦闘を諦めさせるのが上策。
大規模な攻撃を何カ所かに仕掛けなきゃいけないならその時点で効果がある
その意味では資源があんまない場所を攻め落とすメリットと、
そのための損害考慮して損害のが大きくなると思わせられれば
戦争にならない自衛隊理論と一緒
何にしてもロマンがあって好きだわ
56 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 07:55 ▼このコメントに返信 歩いていけるやんって思ったけど馬が渡れなければいいのか
なるほど
57 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 07:56 ▼このコメントに返信 中国が昔のような状態を保っていたなら、間違いなく衝突はあっても、今みたいに嫌中は少なかっただろう。
文化、料理、建築など、本当に世界に誇れただろうに。
58 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 08:19 ▼このコメントに返信 中国共産党なんて百害あって一利無しだろうにな
歴史通りならそろそろ国民決起からの英雄の時代になりそうなもんだが
59 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 08:53 ▼このコメントに返信 2年くらい前に行ったな
男坂か女坂か忘れたが修繕しててボコボコになってるのがデモンズソウルみたいだったw
60 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 08:57 ▼このコメントに返信 アカ支配までは本当にアジアを代表する大国で
戦争は弱かったけどそれ以上に尊敬できる文化がたくさんあった
今の中国で尊敬できるところといえば食への追求だけ(味に関してのみ)
61 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 09:02 ▼このコメントに返信 米39
全然関係ないけど春光と聞いて日立や日産コンツェルン思い出した
今思うと日産潰れるぞの異常なsage報道って
国防弱体化を狙ってたんだろうな
62 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 09:06 ▼このコメントに返信 TBSで緒方拳がドキュメンタリーやってたなあ
最後は砂漠で線路の盛り土位の盛り上がりがかすかに
残ってる程度になってて遥か地平線まで続いて終わってた
ナレーションの「万里の長城は空に消えていった」てのが格好良かった
あの頃のTBSは紀行ドキュメンタリーの質がとても良かったなあ
63 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 09:11 ▼このコメントに返信 ふつーに知ってたが何か?
64 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 09:14 ▼このコメントに返信 ※62です
TBSのドキュメンタリーの件既出でしたね
出演は緒形直人さんでしたか
失礼しました
でもラストシーンのズドーンと砂漠と空とかすかな長城の
痕跡が画面いっぱいの構図が格好良かったのは本当なんですよう
65 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 09:43 ▼このコメントに返信 米28
「壁がある」というだけで十分抑止効果はあるんだぜ。
66 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 09:45 ▼このコメントに返信 中国は嫌いだが、
それでもこういうのを見ると中国はスゴイと感嘆する。
67 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 10:14 ▼このコメントに返信 昔の中国はすごかった
国共内戦とかで荒廃したからいいものの、ポテンシャルが高すぎるから要注意
68 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 10:15 ▼このコメントに返信 今と昔の日本だって大違いだと
戦前の日本人が現代人見たら思うだろう
69 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 10:36 ▼このコメントに返信 明時代までの中国は
世界でも良い意味で重要だったかと思う
70 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 12:54 ▼このコメントに返信 中国はいつの時代も新しい政権が古い政権の文化や書物を焚書して文明の発達にリセットが掛かるから、人材や元々の文明レベルが高かったのに停滞しちゃったよな。
日本は緩やかに歴史が一続きで受け継がれてきてるから強いのだと思うわ。
天皇陛下のお陰やね。
71 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 14:03 ▼このコメントに返信 米59
嵐1ってことねw
72 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 18:29 ▼このコメントに返信 山海関は世界史で出てきたよな
73 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 19:05 ▼このコメントに返信 昔の中国人と今の中国人は民族が違う
74 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月17日 19:47 ▼このコメントに返信 昔の中国のロマンあふれ感は異常
この国どこいったんだよw
75 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月18日 23:56 ▼このコメントに返信 中国は国が変わる度に文化も歴史もリセットかけるから、残らないんだよね。
76 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月19日 00:11 ▼このコメントに返信 米28
他の米でも指摘されてるが,万里の長城の役割って城壁とはちょっと違うからな。
万里の長城の一番大事な役割は遊牧民が何となく国境を越えていつのまにか侵攻されていくのを
防ぐことだと聞いたことがあるわ。
国境とか土地所有とかいう概念が薄い民族相手なわけだから「ここから先は俺らの土地」というのを
形にして分かりやすくアピールする必要があったのだろう。
77 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月19日 02:55 ▼このコメントに返信 中国ってほんと昔は偉大だったんだね
78 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月19日 06:08 ▼このコメントに返信 米70
明日はわが身だから移民は排除の方向で
79 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月20日 00:17 ▼このコメントに返信 結局、恐怖のために作ったのでしょう、この壁。万里の長城の北は暗黙に自ら中国じゃないと言ってるのと同じことだからね。西はカヨク関までだね。
80 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月20日 10:30 ▼このコメントに返信 やはりボクトツゼンウは偉大
81 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年03月20日 16:31 ▼このコメントに返信 まぁ皮肉な事にドンパチの後は科学がスゴイ進歩するんだぜ