1: 名無しさん 2014/04/15(火)03:50:15 ID:806uqUO4h
「人間50年 下天のうちをくらぶれば 夢幻のごとくなり……」
かの織田信長も出陣の際に口にした名言である。ー人の一生はたかだか50年で、天上世界の時間に比べたら夢や幻のようなものである ̄と。
この世に私が生を受け今日で50年だ。人生の中で職歴はわずか半年、童貞歴イコール年齢。人生の大部分をニートとして過ごしてきた。
本来ならひっそりと生きて行くべき人種であろう。だけど何故だか、書かなくてはいけない気がした。
嘲笑されてもよい、情けないと思われてもよい、ただ私の反省を遺さなくてはならない気がした。ここでしか私の居場所がないと本能で分かっているからかもしれないが、、
ということで、僭越ながら私の反省を勝手に語らせていただくことを、お許し願いたい。
かの織田信長も出陣の際に口にした名言である。ー人の一生はたかだか50年で、天上世界の時間に比べたら夢や幻のようなものである ̄と。
この世に私が生を受け今日で50年だ。人生の中で職歴はわずか半年、童貞歴イコール年齢。人生の大部分をニートとして過ごしてきた。
本来ならひっそりと生きて行くべき人種であろう。だけど何故だか、書かなくてはいけない気がした。
嘲笑されてもよい、情けないと思われてもよい、ただ私の反省を遺さなくてはならない気がした。ここでしか私の居場所がないと本能で分かっているからかもしれないが、、
ということで、僭越ながら私の反省を勝手に語らせていただくことを、お許し願いたい。
3: 1◆zqtV26e.8M 2014/04/15(火)03:52:03 ID:806uqUO4h
スレタイ間違えました。本当どうしようもないですね。「反省→半生」です。
私は1964年、東京オリンピックの年にとある地方都市に生まれた。まあ今もそこに住んでいるのだが、、
父親は普通のサラリーマン、母親は専業主婦といういたって普通の家庭である。
ただ私の母親はいわゆる「教育ママ」であった。親が言うには私が生まれてからすぐ英語のCDを聞かせたりしていたそうだ。
親から聞いた話だと3歳になるかならないくらいの時と記憶しているが、いわゆる幼児教育をする塾にいれられた。
個人差もあるが人間の覚えている記憶は3、4歳くらいからのものであるという。私の頭の中の記憶もこの年代からのものだ。
おぼろげに覚えているのは、私が塾で良い成績を取ると褒められ、悪い成績をとったり、自宅で勉強に集中していなかったりすると怒られていた。
特に怒られていた時はひどかった。容赦なく叩かれたし、玄関の外に閉め出されたりした。カギのある部屋に長時間閉じ込められ小便を漏らしてしまったことは特に嫌な記憶として今でもしっかり覚えている。もしかすると今の世の中の流れだと虐待として児童相談所に保護されてもおかしくないレベルかもしれない。
この母が私の人生に大きな影響を与えていくことをここに記しておく。なのでしばらくは母の話が多くなってしまうことをお許し願いたい。
私の母は子供を「こういう子どもに育てたい」という気持ちがとても強かったのだろう。「元気で育ってくれさえすればそれでいい」と子どもの成長を願う親とは真逆である。
私の母と父はともに中卒である。母は自身の中卒という学歴に大変コンプレックスを持っていた。70代の母の世代を考えるとそこまでコンプレックスを持つことではないのではと思ったこともあるが、とにかく本人はコンプレックスを持っていた。
そして自分が中卒なゆえ、父のような稼ぎの少ない人間としか結婚できなかったのだと良く愚痴を聞かされた。
子どもに自分の成し遂げることに出来なかった夢を託す両親がスポーツ界や芸能界を中心に良くいるが、私の母もその一例だったのだろう。
母の夢は、私を一流大学に行かせ、多くの給料を払ってくれる一流企業に勤めさせることだったのだ。
「勉強していい大学に入れば、いい会社に入って幸せになれる。だから勉強しなさい」
2014年の今こんなことを言う親がいれば失笑モノだが、終身雇用が中心で、学歴社会も現在より強かった高度成長期の日本では良く耳にした言葉である。
私の母も良くこの言葉を口にした。
私は1964年、東京オリンピックの年にとある地方都市に生まれた。まあ今もそこに住んでいるのだが、、
父親は普通のサラリーマン、母親は専業主婦といういたって普通の家庭である。
ただ私の母親はいわゆる「教育ママ」であった。親が言うには私が生まれてからすぐ英語のCDを聞かせたりしていたそうだ。
親から聞いた話だと3歳になるかならないくらいの時と記憶しているが、いわゆる幼児教育をする塾にいれられた。
個人差もあるが人間の覚えている記憶は3、4歳くらいからのものであるという。私の頭の中の記憶もこの年代からのものだ。
おぼろげに覚えているのは、私が塾で良い成績を取ると褒められ、悪い成績をとったり、自宅で勉強に集中していなかったりすると怒られていた。
特に怒られていた時はひどかった。容赦なく叩かれたし、玄関の外に閉め出されたりした。カギのある部屋に長時間閉じ込められ小便を漏らしてしまったことは特に嫌な記憶として今でもしっかり覚えている。もしかすると今の世の中の流れだと虐待として児童相談所に保護されてもおかしくないレベルかもしれない。
この母が私の人生に大きな影響を与えていくことをここに記しておく。なのでしばらくは母の話が多くなってしまうことをお許し願いたい。
私の母は子供を「こういう子どもに育てたい」という気持ちがとても強かったのだろう。「元気で育ってくれさえすればそれでいい」と子どもの成長を願う親とは真逆である。
私の母と父はともに中卒である。母は自身の中卒という学歴に大変コンプレックスを持っていた。70代の母の世代を考えるとそこまでコンプレックスを持つことではないのではと思ったこともあるが、とにかく本人はコンプレックスを持っていた。
そして自分が中卒なゆえ、父のような稼ぎの少ない人間としか結婚できなかったのだと良く愚痴を聞かされた。
子どもに自分の成し遂げることに出来なかった夢を託す両親がスポーツ界や芸能界を中心に良くいるが、私の母もその一例だったのだろう。
母の夢は、私を一流大学に行かせ、多くの給料を払ってくれる一流企業に勤めさせることだったのだ。
「勉強していい大学に入れば、いい会社に入って幸せになれる。だから勉強しなさい」
2014年の今こんなことを言う親がいれば失笑モノだが、終身雇用が中心で、学歴社会も現在より強かった高度成長期の日本では良く耳にした言葉である。
私の母も良くこの言葉を口にした。
4: 1◆zqtV26e.8M 2014/04/15(火)03:53:15 ID:806uqUO4h
そして母の言われるままに勉強した。私が4歳の頃に親の転勤で県外に引っ越した。引っ越し先は都会だったため、お受験熱も熱く、回りのママ友にも感化されたのか母の教育ママっぷりは一層加速していった。
もちろん塾の先生からもお受験を勧められており、母もぜひそうしたかったそうだが、私の父の稼ぎではそれは叶わなかったようである。その経験も母の「いい大学に入って、いい企業に入ってお金に苦労しないようにしなさい」という考えを加速させたのだと今になって思う。
そして公立小学校に入学する予定であったが、父が転職をし、再び生まれた県に帰ることとなり、地元の公立小学校に入学した。
私の出身県は田舎のため、小中高一貫の私立などなかったため、結果的に親としても良かったのかもしれない。
話は変わるが、私には5歳年下の妹がいる。妹も私と同じように小さい頃から幼児教育を施されてきた。
妹は小学校の成績はトップで中学まで進んだのだが、中学でいきなりグレた。髪を染め夜遊びが多くなり、親が学校に呼び出されることも増えた。
親からしたら妹は自分の理想の子ども像から外れてしまったのだ。最初は親も妹を説得していたが、途中から諦め完全に放任に走った。
私は良く母に妹の愚痴を聞かされたものである「あの子には裏切られた。小さいときからあれだけ勉強させてあげたのに」「もうあの子には何も期待してない」と。
母と妹の口喧嘩の時もよくその種の言葉を聞いた。妹を叱る理由は世間体などが全てであり、純粋に自身の娘を心配して叱っているのを見たことがない。
その時私は確信した。やはり母は子育てを自分の理想とするロボットを育てる行為としか思っていない。子どもが褒められることで、自分も褒められたような気分を感じているのだろう。だから褒められることのない存在に育ってしまった娘は母にとって「失敗作」でしかないのだろう。
私もいつかレールを外れてしまったらもう今のように接してもらえないのだろう。その事に早く気づいていたら私の人生も変わっていたのかもしれない。
もちろん塾の先生からもお受験を勧められており、母もぜひそうしたかったそうだが、私の父の稼ぎではそれは叶わなかったようである。その経験も母の「いい大学に入って、いい企業に入ってお金に苦労しないようにしなさい」という考えを加速させたのだと今になって思う。
そして公立小学校に入学する予定であったが、父が転職をし、再び生まれた県に帰ることとなり、地元の公立小学校に入学した。
私の出身県は田舎のため、小中高一貫の私立などなかったため、結果的に親としても良かったのかもしれない。
話は変わるが、私には5歳年下の妹がいる。妹も私と同じように小さい頃から幼児教育を施されてきた。
妹は小学校の成績はトップで中学まで進んだのだが、中学でいきなりグレた。髪を染め夜遊びが多くなり、親が学校に呼び出されることも増えた。
親からしたら妹は自分の理想の子ども像から外れてしまったのだ。最初は親も妹を説得していたが、途中から諦め完全に放任に走った。
私は良く母に妹の愚痴を聞かされたものである「あの子には裏切られた。小さいときからあれだけ勉強させてあげたのに」「もうあの子には何も期待してない」と。
母と妹の口喧嘩の時もよくその種の言葉を聞いた。妹を叱る理由は世間体などが全てであり、純粋に自身の娘を心配して叱っているのを見たことがない。
その時私は確信した。やはり母は子育てを自分の理想とするロボットを育てる行為としか思っていない。子どもが褒められることで、自分も褒められたような気分を感じているのだろう。だから褒められることのない存在に育ってしまった娘は母にとって「失敗作」でしかないのだろう。
私もいつかレールを外れてしまったらもう今のように接してもらえないのだろう。その事に早く気づいていたら私の人生も変わっていたのかもしれない。
5: 1◆zqtV26e.8M 2014/04/15(火)03:54:26 ID:806uqUO4h
小学校は今思えばどこにでもいる小学生であった。外で友達と野球をしたり、駄菓子屋でお菓子を買って遊んだり、、昭和の典型的な子どもだった。
引き続き塾に通っていたため、学校の成績はトップだった。そのため小学生の時は良く親に褒められたものである。
そのまま私は地元の公立中学校に進んだ。複数の小学校から人が集まるため、友人も増えた。
中学といえば部活である。私はテニス部に入部し、健康的な青春の汗を流したものだった。勉強の方は、他の小学校の優秀な層も新たに加わったため、常に1番ということは厳しかったが、基本的に5番以内には入っていたように思う。
中3になり部活も引退し、周囲も進路の話が増えてくる頃である。私は地元の県立トップ校を希望していた。
良く周囲に「なんでその高校に行きたいの?」と言われていたが、幼い頃から母に「県立トップ校→一流大学→一流企業」というルートを刷り込まれていたため、特に理由などなかった。
その学校に行かなければ自分の人生は先に進まないと思っていた。
受験勉強に打ち込み、無事に志望校に合格。高校生活が始まった。
高校の入学式を終え、次の日に新入生の学力を測るための試験があった。どこの高校でも良くある光景だろう。
ここで私は人生初の挫折を味わう。なんとその試験の成績が、400人中で下から30番ほどだったのだ。
繰り返すが田舎県のため、私立でなく公立トップ校がその県のトップ校である。つまり県内から選りすぐりの精鋭達が集まっているのだ。
今までの自分は井の中の蛙にいたのだと思い知らされた。悔しさから勉強に力を入れるが、進度が速くて授業についていけず、試験は常に下から100番以内だった。
そして高3になり、大学受験を控え、共通一次に臨むが撃沈。受験した大学に全て不合格。浪人に突入する。
母も一流大学にいけるのなら、浪人しようが構わないと思っていたのだろう。特に反対されることもなかった。
引き続き塾に通っていたため、学校の成績はトップだった。そのため小学生の時は良く親に褒められたものである。
そのまま私は地元の公立中学校に進んだ。複数の小学校から人が集まるため、友人も増えた。
中学といえば部活である。私はテニス部に入部し、健康的な青春の汗を流したものだった。勉強の方は、他の小学校の優秀な層も新たに加わったため、常に1番ということは厳しかったが、基本的に5番以内には入っていたように思う。
中3になり部活も引退し、周囲も進路の話が増えてくる頃である。私は地元の県立トップ校を希望していた。
良く周囲に「なんでその高校に行きたいの?」と言われていたが、幼い頃から母に「県立トップ校→一流大学→一流企業」というルートを刷り込まれていたため、特に理由などなかった。
その学校に行かなければ自分の人生は先に進まないと思っていた。
受験勉強に打ち込み、無事に志望校に合格。高校生活が始まった。
高校の入学式を終え、次の日に新入生の学力を測るための試験があった。どこの高校でも良くある光景だろう。
ここで私は人生初の挫折を味わう。なんとその試験の成績が、400人中で下から30番ほどだったのだ。
繰り返すが田舎県のため、私立でなく公立トップ校がその県のトップ校である。つまり県内から選りすぐりの精鋭達が集まっているのだ。
今までの自分は井の中の蛙にいたのだと思い知らされた。悔しさから勉強に力を入れるが、進度が速くて授業についていけず、試験は常に下から100番以内だった。
そして高3になり、大学受験を控え、共通一次に臨むが撃沈。受験した大学に全て不合格。浪人に突入する。
母も一流大学にいけるのなら、浪人しようが構わないと思っていたのだろう。特に反対されることもなかった。
6: 1◆zqtV26e.8M 2014/04/15(火)03:55:50 ID:806uqUO4h
1年目は予備校に通い、順調に成績も上がった。今思えばあれほど真剣に勉学に取りくんだ時期だった。
成績も順調に上がり、旧帝大も狙えると言われ、旧帝大を受験した。しかしまたもや不合格。幼少の頃から「勉強すれば報われる」と聞かされて来た私にとって「努力が報われない」という初の経験だった。
しかし、私の中にも「自分は絶対に一流大学にいかなければいけない。そうでなくてはエリートになれない」とう考えが完全に浸透していた。
そんな時に母が「お金のことは気にしないでいいから、2浪してもいいよ」と声をかけてくれた。私は2浪を決意した。
しかし2浪したものの、1浪の時に比べ全く成績があがらない。勉強のやり方を含め行き詰まっていた。当時はネットもなく受験勉強の情報なども都会と田舎では格差があった。
予備校の先生は根性論ばかりで、今思うと暗記中心の無駄な勉強をしていたように思う。
結論からいうと2浪目も志望校に不合格、3浪目に突入する。
3浪目については何の面白みもなかったため、説明を省略する。そして結果のみ言うとまたもや不合格。そして滑り止めに受けていた私立大学に進学することになった。
偏差値的には二流大学といったとこだろうか。不思議と悔しさはなかった。もう精も魂も尽き果てていた。
ただ大学自体の知名度はあるため、詳しい偏差値など知らない母は「その大学なら十分よ」と励ましてはくれたのを覚えている。
そして大学時代に突入した。この時代が私の中で一番輝いていた。今でも良くこの頃を思いだして空想にふけったり、大学時代の夢を睡眠中に見たりする。
人の幸せ話ほど聞いていて面白くないものはないと思うので、大学時代も省略する。サークルに入り、初めての一人暮らしを満喫し、充実した大学時代であったことは確かだ。女っ気はなかったが、、
それ故に私はあの京都での生活を今になっても引きずっている。50歳にもなって、未だにあの青春をまた味わえるものと思っているのだ。
頭は薄くなり、腹は出ても、また夕焼けのキャンパスを歩くあの娘と恋愛関係になれるという妄想をしているのであるからどうしようもない。
成績も順調に上がり、旧帝大も狙えると言われ、旧帝大を受験した。しかしまたもや不合格。幼少の頃から「勉強すれば報われる」と聞かされて来た私にとって「努力が報われない」という初の経験だった。
しかし、私の中にも「自分は絶対に一流大学にいかなければいけない。そうでなくてはエリートになれない」とう考えが完全に浸透していた。
そんな時に母が「お金のことは気にしないでいいから、2浪してもいいよ」と声をかけてくれた。私は2浪を決意した。
しかし2浪したものの、1浪の時に比べ全く成績があがらない。勉強のやり方を含め行き詰まっていた。当時はネットもなく受験勉強の情報なども都会と田舎では格差があった。
予備校の先生は根性論ばかりで、今思うと暗記中心の無駄な勉強をしていたように思う。
結論からいうと2浪目も志望校に不合格、3浪目に突入する。
3浪目については何の面白みもなかったため、説明を省略する。そして結果のみ言うとまたもや不合格。そして滑り止めに受けていた私立大学に進学することになった。
偏差値的には二流大学といったとこだろうか。不思議と悔しさはなかった。もう精も魂も尽き果てていた。
ただ大学自体の知名度はあるため、詳しい偏差値など知らない母は「その大学なら十分よ」と励ましてはくれたのを覚えている。
そして大学時代に突入した。この時代が私の中で一番輝いていた。今でも良くこの頃を思いだして空想にふけったり、大学時代の夢を睡眠中に見たりする。
人の幸せ話ほど聞いていて面白くないものはないと思うので、大学時代も省略する。サークルに入り、初めての一人暮らしを満喫し、充実した大学時代であったことは確かだ。女っ気はなかったが、、
それ故に私はあの京都での生活を今になっても引きずっている。50歳にもなって、未だにあの青春をまた味わえるものと思っているのだ。
頭は薄くなり、腹は出ても、また夕焼けのキャンパスを歩くあの娘と恋愛関係になれるという妄想をしているのであるからどうしようもない。
7: 1◆zqtV26e.8M 2014/04/15(火)03:57:20 ID:806uqUO4h
4年生になり、人生の一大イベント就職活動である。当時世の中はバブル景気に湧いており、就職活動も楽観視されていた。特に金融系などは大量採用だったため、非常に入りやすかった。
ただ3浪の私はハンディがあった、その中で年齢制限が非常にゆるい会社があった。新聞社である。
私は受験し、不思議なことに選考がトントン拍子で進み、某全国紙の新聞社の記者としての内定を得た。私はそこに入社を決めた。
職業に貴賤をつけるのはよろしくないが、やはり世間的に新聞記者の社会的地位は高い。母に報告したら喜んでくれた。
その時は母も自分の思った通りに息子が育ったと安堵しただろう。
ちなみに私は高校の時に1度父が会社に倒産により失業している。そのため母は私に絶対に倒産しない公務員になってほしいと学生時代ことあるごとに言うようになっていた。それでも私の内定を喜んでくれた。
まあ、この母の「息子を公務員にしたい願望」を私は後に利用することになる、、、
そして入社後すぐ、私は地方の県庁所在地に配属された。新人は入社後すぐに地方の県庁所在地に配属され、記者としてのイロハを覚えることになっているのだ。
ご存知の方もいるかもしれないが、マスコミはかなりの激務である。事件が起きれば昼夜を問わず駆けつけるし、大きな事件が起きれば休みなどふっとぶ。
また新人はボロ雑巾のように酷使されるため、休みなどほぼない。というか会社に住んでいた。会社に4畳半ほどの部屋があり、新人はそこに住み込むことが慣例となっていた。
サイレンが聞こえれば現場にカメラを持って直行。事件に追われる地獄のような日々が続いた。今思い返しても本当にこの時は地獄だった。移動の自由もない奴隷のような気持ちになっていた。
日に日に私は生気を失っていき、入社から半年ほどたった秋の日に過労で倒れた。
一応過労からは復帰したが、食欲もいっこうにわかないし、常に頭がぼーっとして体が思うように言う事を聞かない。何をしてもだるいし寝付けない。
今思えば鬱病になっていたのではないかと思う。しかし当時はあまり鬱病が世間に認知されていなかった。
そして師走の夜中に一人で会社にいた時に「このままでは死んでしまうかもしれない」とふと思った。
次の日私は上司に辞意を伝えた。
ただ3浪の私はハンディがあった、その中で年齢制限が非常にゆるい会社があった。新聞社である。
私は受験し、不思議なことに選考がトントン拍子で進み、某全国紙の新聞社の記者としての内定を得た。私はそこに入社を決めた。
職業に貴賤をつけるのはよろしくないが、やはり世間的に新聞記者の社会的地位は高い。母に報告したら喜んでくれた。
その時は母も自分の思った通りに息子が育ったと安堵しただろう。
ちなみに私は高校の時に1度父が会社に倒産により失業している。そのため母は私に絶対に倒産しない公務員になってほしいと学生時代ことあるごとに言うようになっていた。それでも私の内定を喜んでくれた。
まあ、この母の「息子を公務員にしたい願望」を私は後に利用することになる、、、
そして入社後すぐ、私は地方の県庁所在地に配属された。新人は入社後すぐに地方の県庁所在地に配属され、記者としてのイロハを覚えることになっているのだ。
ご存知の方もいるかもしれないが、マスコミはかなりの激務である。事件が起きれば昼夜を問わず駆けつけるし、大きな事件が起きれば休みなどふっとぶ。
また新人はボロ雑巾のように酷使されるため、休みなどほぼない。というか会社に住んでいた。会社に4畳半ほどの部屋があり、新人はそこに住み込むことが慣例となっていた。
サイレンが聞こえれば現場にカメラを持って直行。事件に追われる地獄のような日々が続いた。今思い返しても本当にこの時は地獄だった。移動の自由もない奴隷のような気持ちになっていた。
日に日に私は生気を失っていき、入社から半年ほどたった秋の日に過労で倒れた。
一応過労からは復帰したが、食欲もいっこうにわかないし、常に頭がぼーっとして体が思うように言う事を聞かない。何をしてもだるいし寝付けない。
今思えば鬱病になっていたのではないかと思う。しかし当時はあまり鬱病が世間に認知されていなかった。
そして師走の夜中に一人で会社にいた時に「このままでは死んでしまうかもしれない」とふと思った。
次の日私は上司に辞意を伝えた。
8: 1◆zqtV26e.8M 2014/04/15(火)03:58:35 ID:806uqUO4h
そこからの記憶はあまりない。ただ失意のうちに実家に帰り、母に事情を伝えた。2ヶ月ほどは狂ったように寝てばかりいた。やはり今思うと鬱病になっていたのではと思う。
そして春になるころ、ようやく元気が出て来た。だがその頃大事件が起きる。バブル崩壊である。
これにより、私の再就職に暗雲が差した。
また、一度新聞社に入り、回りから「凄いね」と言われる味を知ってしまうと、もう普通の中小企業で働こうと思わなくなっていた。ちっぽけなプライドが邪魔をしているのだ。これは今も引きずっている。
でもたった職歴半年の私を雇ってくれる大企業など存在しないだろう。さらに私は地元に帰りたくなっていた。となると田舎で高い社会的地位の仕事は公務員しか残されていない。
半年の勤務だったが、全く金を使っていなかったのである程度の金はあった。その金で公務員受験の専門学校に通い始めた。
入学したのが4月で、公務員試験は毎年6月である。さすがに2ヶ月での合格は難しかったため、翌年の合格を目指した。
しかし不合格。志望自治体の年齢制限は28歳であったため、これにて私は受験資格を失った。
だが私はまだエリートとして生きる道を模索していた。残された道はないのか、、私は光を見つけた
「司法試験」である。
私の親は何も言わず賛成してくれた。実家に住まわせてくれ衣食住にも困らなかった、小遣いももらっていた。
私は親の「息子をどうしてもエリートにしたい」という気持ちを利用していたのだ。
実情はただのニートだ。だが受かってしまえば社会的地位がグンと高くなる。どうしても息子にエリートになって欲しい母は、息子が中小企業に勤めるよりは私がエリートになれるチャンスに夢を見たのであろう。
独学での司法試験勉強は困難を極めた。結論からいうと私は12年間司法試験受験に費やし、撤退した。4回は択一に受かったのだが、最終合格はならなかった。
気づけば私は40歳になっていた。大学時代の友人達は結婚し、子どももいるだろう。自然と涙がこぼれてきた。40歳になったのを機に司法試験から撤退した。
そして春になるころ、ようやく元気が出て来た。だがその頃大事件が起きる。バブル崩壊である。
これにより、私の再就職に暗雲が差した。
また、一度新聞社に入り、回りから「凄いね」と言われる味を知ってしまうと、もう普通の中小企業で働こうと思わなくなっていた。ちっぽけなプライドが邪魔をしているのだ。これは今も引きずっている。
でもたった職歴半年の私を雇ってくれる大企業など存在しないだろう。さらに私は地元に帰りたくなっていた。となると田舎で高い社会的地位の仕事は公務員しか残されていない。
半年の勤務だったが、全く金を使っていなかったのである程度の金はあった。その金で公務員受験の専門学校に通い始めた。
入学したのが4月で、公務員試験は毎年6月である。さすがに2ヶ月での合格は難しかったため、翌年の合格を目指した。
しかし不合格。志望自治体の年齢制限は28歳であったため、これにて私は受験資格を失った。
だが私はまだエリートとして生きる道を模索していた。残された道はないのか、、私は光を見つけた
「司法試験」である。
私の親は何も言わず賛成してくれた。実家に住まわせてくれ衣食住にも困らなかった、小遣いももらっていた。
私は親の「息子をどうしてもエリートにしたい」という気持ちを利用していたのだ。
実情はただのニートだ。だが受かってしまえば社会的地位がグンと高くなる。どうしても息子にエリートになって欲しい母は、息子が中小企業に勤めるよりは私がエリートになれるチャンスに夢を見たのであろう。
独学での司法試験勉強は困難を極めた。結論からいうと私は12年間司法試験受験に費やし、撤退した。4回は択一に受かったのだが、最終合格はならなかった。
気づけば私は40歳になっていた。大学時代の友人達は結婚し、子どももいるだろう。自然と涙がこぼれてきた。40歳になったのを機に司法試験から撤退した。
9: 1◆zqtV26e.8M 2014/04/15(火)03:59:53 ID:806uqUO4h
これからどうやって生きようか、、幸い親はまだ生きていた。
もう働く気力もなかった。気力があった所でこんな自分を雇ってくれるところはどこにもないだろう。私はいかにして親に「寄生」できるかを考え始めた。
私はやはり親の「息子にはエリートになって欲しい」気持ちを利用する事を思いついた。
私はある嘘を思いついた「居酒屋で酒を飲んでいたら、客として来ていた地元選出の国会議員と話す機会があった。そこで境遇を話したら「俺の事務所を手伝わないか?」と言われた」というものである。
国会議員というものは、閣僚や党幹部などを除き、一般的に週末には地元に帰り、地元で活動をしている。なので毎週末に地元の事務所と活動をボランティアで手伝わないか?と声をかけられたというものだ。
そしてもし君の働きぶりが良かったら秘書にしてあげるよと言われたとウソをついた。
親はそのウソを信じ、「頑張りなさい」と励ましてくれた。ちなみにネットを覚えたのもその頃である。月〜金は家でネットをし、土日は「議員の手伝い」と称して図書館などで時間をつぶしていた。
そしてそのウソをつき続けて半年後さらにウソを重ねた
「議員さんが引退した後に、俺を後継者にしてくれるって言ってくれたんだ。俺国会議員になれそうだよ」というものだ。
親は本当に喜んでくれた。これでまた息子がエリートになれると。俺は正直心苦しかったが、この時は生きて行く事に必死だった。
そしてそれから10年が経ち今に至る。まだその議員は国会議員に選ばれ続けているので、私のウソがばれることもない。
そして私は相変わらず親元で暮らし、月〜金は2chをし、土日に「事務所の手伝い」に行っている。
親には毎月小遣いをもらい、衣食住の面倒を見てもらっている。
親は私に特に何も言う事はなく、普通に接してくれる。そして特に仕事を探せなどと言う事もない。
なぜなら私は「未来の国会議員」なのだから、、、
終わり
もう働く気力もなかった。気力があった所でこんな自分を雇ってくれるところはどこにもないだろう。私はいかにして親に「寄生」できるかを考え始めた。
私はやはり親の「息子にはエリートになって欲しい」気持ちを利用する事を思いついた。
私はある嘘を思いついた「居酒屋で酒を飲んでいたら、客として来ていた地元選出の国会議員と話す機会があった。そこで境遇を話したら「俺の事務所を手伝わないか?」と言われた」というものである。
国会議員というものは、閣僚や党幹部などを除き、一般的に週末には地元に帰り、地元で活動をしている。なので毎週末に地元の事務所と活動をボランティアで手伝わないか?と声をかけられたというものだ。
そしてもし君の働きぶりが良かったら秘書にしてあげるよと言われたとウソをついた。
親はそのウソを信じ、「頑張りなさい」と励ましてくれた。ちなみにネットを覚えたのもその頃である。月〜金は家でネットをし、土日は「議員の手伝い」と称して図書館などで時間をつぶしていた。
そしてそのウソをつき続けて半年後さらにウソを重ねた
「議員さんが引退した後に、俺を後継者にしてくれるって言ってくれたんだ。俺国会議員になれそうだよ」というものだ。
親は本当に喜んでくれた。これでまた息子がエリートになれると。俺は正直心苦しかったが、この時は生きて行く事に必死だった。
そしてそれから10年が経ち今に至る。まだその議員は国会議員に選ばれ続けているので、私のウソがばれることもない。
そして私は相変わらず親元で暮らし、月〜金は2chをし、土日に「事務所の手伝い」に行っている。
親には毎月小遣いをもらい、衣食住の面倒を見てもらっている。
親は私に特に何も言う事はなく、普通に接してくれる。そして特に仕事を探せなどと言う事もない。
なぜなら私は「未来の国会議員」なのだから、、、
終わり
10: 1◆zqtV26e.8M 2014/04/15(火)04:01:55 ID:806uqUO4h
思わずとても長くなってしまいました。
こんなどうしようもない人間ですが、もし読んで感想などいただけたらうれしいです。
もちろん質問などあればなんでも答えますよー!
こんなどうしようもない人間ですが、もし読んで感想などいただけたらうれしいです。
もちろん質問などあればなんでも答えますよー!
11: 名無しさん 2014/04/15(火)04:21:31 ID:K8gI1rTtT
恐ろしい…
12: 名無しさん 2014/04/15(火)04:22:59 ID:K8gI1rTtT
そのちっぽけなプライドというやつとの決別方法を見つけられましたか?
16: 1◆zqtV26e.8M 2014/04/15(火)05:31:53 ID:806uqUO4h
>>12
情けないことにまだ見つけられてないんだと思います。見つけれたら介護の仕事とかでもしてると思いますし。
情けないことにまだ見つけられてないんだと思います。見つけれたら介護の仕事とかでもしてると思いますし。
13: 名無しさん 2014/04/15(火)05:10:36 ID:tRjMbpivN
ネタじゃないのなら、
かなり恐ろしい。
退職1ヶ月ちょっとで
焦ってる自分が阿呆らしくなる。
親御さんがもし死去されたとしたら
とは考えた事ないんですか?
かなり恐ろしい。
退職1ヶ月ちょっとで
焦ってる自分が阿呆らしくなる。
親御さんがもし死去されたとしたら
とは考えた事ないんですか?
14: 名無しさん 2014/04/15(火)05:29:36 ID:B50akmRIf
どう考えても両親はお前の嘘に付き合ってるだけ
16: 1◆zqtV26e.8M 2014/04/15(火)05:31:53 ID:806uqUO4h
>>14
そしたら働くしかないですよね。でも仮にそのとき60歳とかになってる自分を受け入れてくれる所があるのかどうか。
そしたら働くしかないですよね。でも仮にそのとき60歳とかになってる自分を受け入れてくれる所があるのかどうか。
17: 名無しさん 2014/04/15(火)05:42:11 ID:WhhP6AYGb
俺も正社員でうまくいかなくて、今ニートだから、ズルズルとその道に進みそうで怖い。
何かゾッとする。
ちなみに親御さん、妹さんは今何してるの?
何かゾッとする。
ちなみに親御さん、妹さんは今何してるの?
19: 1◆zqtV26e.8M 2014/04/15(火)06:33:24 ID:806uqUO4h
>>17
親は年金暮らしです。妹は普通に結婚してます。
21で結婚して、すぐ子どもも出来たんで、僕の甥っ子ももうすぐ30歳くらいです。
なんか切ないですねw
親は年金暮らしです。妹は普通に結婚してます。
21で結婚して、すぐ子どもも出来たんで、僕の甥っ子ももうすぐ30歳くらいです。
なんか切ないですねw
20: 1◆zqtV26e.8M 2014/04/15(火)06:34:09 ID:806uqUO4h
ああ、間違えました、もうすぐ25歳くらいです。寝ぼけてました。
21: 名無しさん 2014/04/15(火)06:34:48 ID:N2vVxe2PU
さすがに、50で二ちゃんやってるやつなんかいないだろ。釣り
22: 名無しさん 2014/04/15(火)07:33:39 ID:qPdYlwJB7
1964年にCD…ゆとりここに極まれり
24: 1◆zqtV26e.8M 2014/04/15(火)10:49:50 ID:806uqUO4h
当時で言うとレコードですね。こういうのは当時のものでもつい今の言葉で言ってしまうものなんです。
25: 名無しさん 2014/04/15(火)12:20:54 ID:YgEZY0ERc
文章も読みやすかったし面白かったよ!
ニートにも色々いるんだなあと感心した
バブル期に就任なんて、高望みしすぎなければどこにでも入れたんじゃないの?
最初に働いたのが新聞記者じゃなく もっとホワイトな会社だったら、>>1も今頃 家族があって部長くらいになってそう
ニートにも色々いるんだなあと感心した
バブル期に就任なんて、高望みしすぎなければどこにでも入れたんじゃないの?
最初に働いたのが新聞記者じゃなく もっとホワイトな会社だったら、>>1も今頃 家族があって部長くらいになってそう
29: 名無しさん 2014/04/15(火)17:20:24 ID:XPzLS20ns
親が亡くなったらどうするんや
35: 名無しさん 2014/04/15(火)17:39:19 ID:8IFzd0Exn
CDですぐ気がついた。
だが内容自体は大筋であり得ない話じゃない。
何かと理由付けして親に寄生しつづけてる中年は必ずいるだろうな。
気をつけねば・・・
だが内容自体は大筋であり得ない話じゃない。
何かと理由付けして親に寄生しつづけてる中年は必ずいるだろうな。
気をつけねば・・・
37: 名無しさん 2014/04/15(火)17:41:47 ID:3DD6dA4C5
氷河期組と違って、>>1の新卒時はディズニーで入社式とかあったんじゃ無いか?
39: 1◆zqtV26e.8M 2014/04/15(火)19:06:09 ID:806uqUO4h
CDにやたら突っ込まれますが、本当に書き間違えただけですよ。
例えばコンピュータで文字を打った時に、それをワープロで打ってたとしても、もう今パソコンしか使ってないので、ふと「パソコンで打った」って多分言いますし。
>>37
ディズニー入社式は私の回りでは聞いた事ないですけど、内定者を旅行に連れて行く類いのもてなしはかなり多かったですね。
私も2泊3日の旅行に連れていかれました。
例えばコンピュータで文字を打った時に、それをワープロで打ってたとしても、もう今パソコンしか使ってないので、ふと「パソコンで打った」って多分言いますし。
>>37
ディズニー入社式は私の回りでは聞いた事ないですけど、内定者を旅行に連れて行く類いのもてなしはかなり多かったですね。
私も2泊3日の旅行に連れていかれました。
23: 名無しさん 2014/04/15(火)08:06:12 ID:mrCvfccSn
なんと言うか。人の人生それぞれだな。
28: 名無しさん 2014/04/15(火)17:08:42 ID:45IFarcjZ
俺も他人事ではないな
27: 名無しさん 2014/04/15(火)17:02:27 ID:UyqpvbJSt
やべえさすがに働こうかな
引用元: http://viper.open2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1397501415/
◆大学中退ニートが頑張った結果wwwww
◆前向きニートにありがちな行動パターンwwwww
◆ニートがクライミング始めた結果wwwwww
◆ニートだけどスッポン釣りだけで生計をたててはや半年が過ぎた
◆ニート総数62万人 お前らいい加減にしろ
◆なんでおまいらニートになっちゃったの? 真のニート、ニートオブニートは10万人程度
◆ニート辞めようと思って近所の運送屋にバイトに行った結果
◆前向きニートにありがちな行動パターンwwwww
◆ニートがクライミング始めた結果wwwwww
◆ニートだけどスッポン釣りだけで生計をたててはや半年が過ぎた
◆ニート総数62万人 お前らいい加減にしろ
◆なんでおまいらニートになっちゃったの? 真のニート、ニートオブニートは10万人程度
◆ニート辞めようと思って近所の運送屋にバイトに行った結果

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1 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 11:28 ▼このコメントに返信 釣りでしたーwww
2 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 11:35 ▼このコメントに返信
ニートが語る物語2005年春開幕版
■
3 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 11:36 ▼このコメントに返信 釣りとも思えないんだよなあ・・・
なんかすごく自分の人生を他人事のように見てて、それでも被害者意識が抜け切らない感じがリアルだわ
4 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 11:37 ▼このコメントに返信 せっかく社会進出を促してくれてるのに
己の危機感を無視して、釣りだのなんだの騒いで、結局働かないのかこいつらは
5 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 11:41 ▼このコメントに返信 1960年代に英語のCDなんて無いだろ。CDじゃなくレコードかカセットか?
6 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 11:43 ▼このコメントに返信 釣り見破りゲームで勝った負けた、しか文章に触れる目的がない人間だらけなんだよ
それはそもそも文章を読むというのかすら疑わしいけど
7 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 11:47 ▼このコメントに返信 おっ、将来の俺がいるw
50じゃ自殺準備だわな
8 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 11:47 ▼このコメントに返信 親の過干渉とかニートになるまでの経緯とか見ると釣りには見えないけどな
9 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 11:48 ▼このコメントに返信 50まで無職で生きてきてなお、「親が死んだら働く」という考えでいるのが恐ろしい
なぜいま働かないのか
10 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 11:48 ▼このコメントに返信 人生の成功談はありふれているけどこういう失敗談はあまりないから興味深かった
11 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 11:50 ▼このコメントに返信 なげえww
12 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 11:50 ▼このコメントに返信 昨年仕事辞めてから一年半ニートになってるけど
なんだか働く理由が見つからない
とりあえず生かされている状態
このままずるずる行くのも運命なのかもしれないし
自発的に動かないとおれみたいになるぞ
13 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 11:52 ▼このコメントに返信 長い
14 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 11:53 ▼このコメントに返信 ねぇおじちゃん。在日ナマポとネトウヨニートはどっちがゴミクズなの??
15 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 11:54 ▼このコメントに返信 長渕剛の「夢破れて」みたいだ
"覚えたことと言えば臆病になることと 年老いた親を騙すことくらい" …
でも親はたいてい騙されたふりをしてるだけなんだけどな
16 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 11:55 ▼このコメントに返信 俺はちゃんと働いているけど資格試験を諦めて就職するまでは投稿者とかなり似た境遇だったから釣りとは思えないな。
17 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 11:57 ▼このコメントに返信 信長のあれは名言ではなく、平敦盛の歌なんですけどね
18 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 11:59 ▼このコメントに返信 まぁ釣りだったとしてもこの1は学はそれなりにあるし物書きに向いてそうではあるよね
19 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 12:00 ▼このコメントに返信 英語のCDのところで読むのやめた
20 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 12:01 ▼このコメントに返信 記憶で書いてるだけなんだから、CDだろうがカセットだろうがどうでもいいだろうよ
21 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 12:03 ▼このコメントに返信 似た境遇なのに、不覚にも笑ってしまった。
22 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 12:09 ▼このコメントに返信 三年間学生二ートやった経験から言わせてもらうと、
「人間って適度に負けた方がいいんだ」ってことに早い段階で気づいた方がいいよ。
23 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 12:12 ▼このコメントに返信 なんとか釣りであると信じたい輩たちが必死だな
24 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 12:12 ▼このコメントに返信 高校時代まで全く同じ。親は二人とも大卒だが、母が医者とお見合いして断ったことを後悔してて、教育ママになってた。
3歳くらいから早期学習塾に通わされてたのも同じ。
違うのは兄弟そろって無事医者になったことかな。
ちなみに塾に通ってた奴らも半分くらいは医者になってた。あの塾すごい。
25 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 12:13 ▼このコメントに返信 家族が勤める職場に「親が死んだから働き始めた」っていう元ニートが就職してきたんだよね。
何十年も就職経験がないせいで、人間関係はできないし、仕事に対しては積極性もなければ要領もえない。
結局辞める事になったんだけど、これからの生活どうするの?って聞いたら「死んだのは父親だから母親のパート給料で生活するつもり。母親の年金と死んだら保険金くらいは入るかもしれないので、それをあてにする。働くのはやっぱり嫌。」と言っていた。
どういう環境でニートになったのかは知らないけど、長年ニートやってると親の金をあてにして暮らすのが当たり前で、外へ出る気力すらないのな。
こんなに無気力で他力本願な成人男性初めて見たって家族がビックリしてたよ。
26 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 12:15 ▼このコメントに返信 選挙にも行かなかったら日本のゴミとしか言いようがないな
せめて哀れな庶民の一人として選挙などには関心を持って
今のだらしない日本政府にどんどん訴えてほしい
27 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 12:19 ▼このコメントに返信 何これ怖えー...
50年生きてきて自分の人生を語ることが1万字以下って...
28 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 12:21 ▼このコメントに返信 ほんとだったとして妹が気付くだろ。
たぶん親はあきらめてて、自分たちの面倒を見てくれるなら良いかと思っている。
妹はとにかく迷惑かけてくれるなと思っている。
29 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 12:25 ▼このコメントに返信 俺も似てるなぁ
まあどうでもいいけど
30 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 12:26 ▼このコメントに返信 でも、結局は頑張ったんだよねこの人なりには。。。
複雑な感じ。
31 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 12:26 ▼このコメントに返信 親に寄生するのがニートの特徴だけどさ
ニートが厄介なのは寄生虫の分際でやたら自分勝手で偉そうなんだよな
疎まれるべくして疎まれてるっていう事すら理解できてないって感じ
生来から頭が悪い出来損ないだからニートになるのかもね
32 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 12:27 ▼このコメントに返信 釣りであって欲しいと願う文、本当だとしたらさすがに考え方がちょっと…。人間折れる事も大事ですよ。
33 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 12:29 ▼このコメントに返信 途中まで俺と一緒だわ
ウチは浪人反対されて
母親がでていった
おれは30で二部をでて
いまアルバイトだわ
34 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 12:32 ▼このコメントに返信 流し読みだけど、大学時代がピークなら社交性もあるんじゃね
俺なんか高校大学と友達と呼べるの誰もいなかったし、その当時の同級生の名前を誰一人として思い出せない
35 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 12:34 ▼このコメントに返信 皆CDで突っ込む気持ちが分かる
初めて買ったレコード・・・いや違ったCDは・・・というように
過去が基盤になっているものから話すのならまだしも
この真逆になるのは違和感バリバリだ
36 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 12:35 ▼このコメントに返信 普通にバイトすりゃいいじゃん
37 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 12:36 ▼このコメントに返信 50にもなって教育ママのせいで〜虐待ガーかよ
昭和時代はどこの家庭でもそんなもんだったっつーのks
38 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 12:41 ▼このコメントに返信 中小に勤めるくらいならいっそ死んでくれっていう狂ったエリート意識の親はマジでいるからね
俺は中学くらいには親に殺されかけて目覚めたけど実際ズルズル抜け出せない奴もいるんだろうなと思うよ
この人嘘がばれたらどうなるんだろう
39 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 12:43 ▼このコメントに返信 反省は誤字なのか意図的なのか
40 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 12:46 ▼このコメントに返信 15〜34歳外はニートとは呼ばないのでわ(超絶竜巻真空棒
41 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 12:47 ▼このコメントに返信 なんで釣りであってほしいとか言うんだろう。自分が信じられない、受け入れがたいことから目を背きたいから?もしこの書き込みが本当だったら、「釣りであってほしい」という言葉はその人生の全否定でしかないんだよ。よくそんなことが言えるよね。傷口に塩を塗り込む行為だよ。50歳なんだからまだ身体は動くでしょう、働くなりすればいいのに。
42 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 12:47 ▼このコメントに返信 バブル世代なら高卒もしくは中卒でもイージーだっただろ
43 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 12:54 ▼このコメントに返信 母親が働いてたら良かったのか…?
普通に色々分かるだろうが、嘘に付き合ってるんだな
44 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 12:55 ▼このコメントに返信 元スレの1は永久に世の中に出てくるな。
介護の仕事でもっていう発言が一番気に障る。
1のような人間に自分の老親を任せる気にはならない。
45 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 13:01 ▼このコメントに返信 勉強してたらニートとは言わないのではないか?
46 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 13:04 ▼このコメントに返信 ※44
偉いよく言った
47 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 13:04 ▼このコメントに返信 >>44
まともな金を払ってからほざけ、そりゃ家計からすれば負担はでかいだろうがまともな給料払えない業界なんだからこんな人材でいいんだよ
48 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 13:08 ▼このコメントに返信 読んでしまった
このおっさんにはがんばってほしいな
49 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 13:17 ▼このコメントに返信 27: 名無しさん 2014/04/15(火)17:02:27 ID:UyqpvbJSt
やべえさすがに働こうかな
↑
いや、はじめっから働けよw
50 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 13:22 ▼このコメントに返信 つか、この文章が本当であれ、嘘であれ、結構なリアリティがあるとおもったわ・・・。
51 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 13:27 ▼このコメントに返信 この人が本当にこういう境遇かは置いとくとして、同じ境遇の人は当然いるだろうからな
15〜25年後には今のニートがそのまま年をとってこんな感じになるんじゃねーの
現在50と年が上だから少し違和感があるだけで
52 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 13:34 ▼このコメントに返信 読ませる文章だった
わざとかもしれないけど、なんだか感情を切り捨ててるみたいで切ないな
53 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 13:34 ▼このコメントに返信 本当はもっと若いころに色々気づいてたんだろうけど、そのころにはもう自分の人生を諦めちゃってたんだろうな。
54 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 13:38 ▼このコメントに返信 ネットがある時代に生まれてよかった
55 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 13:40 ▼このコメントに返信 1960年代だと、LL教室用のオープンリール方式のオーディオテープの教材じゃないだろか(うちにもあった by 1965年生まれ)。
ラボって言ってたけど、Language Laboratory の略かな?
訊こうにも、買った本人死んじゃった。
56 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 13:55 ▼このコメントに返信 >>41 そうだね。私は辛いものをあまり見たく無い性格だから釣りであって欲しいと思ったけどそれを言ってしまうと1さんに失礼にあたるよね。配慮が足りませんでした。すみません。でもそこまできつく書かなくても良いんじゃないかな?と思うよ。今度は私の人生が否定されている気分になるよ。
57 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 14:03 ▼このコメントに返信 タイトルで反省と半生を誤字るような人が
教育受けてる期間をニート期間に含めて姑息に話を盛ったり
本文では誤字一つない筋が立った構成感丸出しの文章を書いたりできるんですね
すごいリアリティですね
58 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 14:48 ▼このコメントに返信 高校に入学するところまでが俺にそっくり、田舎の地元一番の公立高校合格後に燃え尽きて勉強しなくなった。
今は開き直ってFラン大学にかよってます。
59 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 14:49 ▼このコメントに返信 10代後半か文章の下手なおっさんかどっちかだろ
60 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 15:25 ▼このコメントに返信 http://s.ameblo.jp/anokoronimodoritai/
この人の続報かと思った。てかこの人も更新した
61 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 15:38 ▼このコメントに返信 親の役目は
"子供を一流企業に就職させること"ではなく
"子供を自立させること"だ
62 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 15:42 ▼このコメントに返信 逆だよ、マジでオッサンだけど、CDをレコードという事はあっても
レコードをCDと言い間違う事はないな
プレステをファミコンと言うオッサン、オバハンはいても
ファミコンをプレステとは言い間違えないだろ?
63 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 15:45 ▼このコメントに返信 親のせいではないって分かってるだろ
50歳なら高齢者向けの仕事あるからそれに応募すればいい
64 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 16:07 ▼このコメントに返信 中卒の子供がいくら頑張っても地頭のいい奴には叶わないってことなの
三浪もさせてもらっておいて親のせいにするのは良くないかな
65 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 16:38 ▼このコメントに返信 危機意識って大事だよな
66 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 17:22 ▼このコメントに返信 日本でのCD発売が1982年だからなー
分かり易く釣り宣言してるのは親切かな
67 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 17:45 ▼このコメントに返信 自分が買ったものの話ならともかく、赤ん坊の時期に聞かされたものの媒体なんかどうでもいいだろうよ
68 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 18:14 ▼このコメントに返信 司法試験はあかんよ。人生狂わせる。
69 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 18:24 ▼このコメントに返信 生まれる前からある物より自分の世代に生まれた物の方が印象に残りやすいといのはそんなに違和感ないと思うけど
世代が古かろうとそんなにレコードばっかり聴いてたという人だけではないしCDから入ったのならおっさんでも音楽=CDになってもおかしくはない
ましてや英語の教材なんて話の上でのイメージなんだから普通はレコードなんかよりはCDやカセット的な物を想像するのではないの
俺は敢えて時代検証してレコードとかにしない所が逆にリアリティーを感じるが
70 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 19:31 ▼このコメントに返信 まだ働いてるけど他人事じゃねぇな。
鬱で休職して復活してから3年たっても体たらくだからな〜。
いろいろ負け慣れてしまったが、辞めたら地獄だな。
さすがに議員云々の嘘はつかんと思いてぇ。。。
71 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 19:37 ▼このコメントに返信 50ならバブル期の恩恵も受けれただろうに。
72 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 20:01 ▼このコメントに返信 昭和42年の司法浪人さんと瓜二つ
73 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 20:10 ▼このコメントに返信 釣り認定して何の意味が有るんですかね
74 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 21:39 ▼このコメントに返信 昭和の釣り
75 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 21:50 ▼このコメントに返信 うちの親と同年代だ
親は、自分のときは新聞記者なんて、ガラが悪くて見下されていたと聞いたけど
地方によって違うのかな
76 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 22:09 ▼このコメントに返信 うわ 全く伸びてなくてワロタw ざまぁw
77 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 22:14 ▼このコメントに返信 CDだのママ友だのでもそうだが
教育ママ、大学受験失敗、欝病退職、司法試験失敗とあまりのお約束パターンてんこもりに釣りにしか
まあたとえ釣りだとしても何十年物のニートってのは実在するとは思うがな
そこまでのニートともなると人生への執着もほとんど残って無いだろ
他人が何言っても馬耳東風
78 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 22:29 ▼このコメントに返信 CDとレコードは絶対間違えない。
ワープロとパソコンもだ。
79 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 22:43 ▼このコメントに返信 CDとかゆとりクズすぎw
だから、ゆとりは使えないクズなんだよ
80 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 22:47 ▼このコメントに返信 ※45
退職してから公務員の専門学校に通うまではニートだろ
・・・つってもそっから翌年の落ちて28歳まで飛んでたり
よくわからんトコあるな
81 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月16日 22:55 ▼このコメントに返信 あながち創作とは思えないけど嘘くさいところもあるんだよねー
バブルのときなんて公務員になるやつは馬鹿って言われてたのに母親が望むかな?
正確には崩壊後だったのかもしれんが
それにしてもそうやって散々下に見てきたのにいざ不況になると手のひら返して公務員を叩く
自分たちは接待されてお金もらって企業に就職してきたのにね
82 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月17日 00:15 ▼このコメントに返信 【ネット工作】ネトウヨ連呼厨の正体は在日民団
日本人叩き他世論工作多数 日本,分断工作スレを報告するスレ / サルでもわかる,TPPで検索
83 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月17日 01:32 ▼このコメントに返信 だから反省を語れよ
84 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月17日 03:38 ▼このコメントに返信 俺はこいつより一個上の1963年生まれだけど、釣りくさく感じる
ホントに俺の同世代かよ???
85 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年04月17日 22:35 ▼このコメントに返信 こういうの見るとやはり人間に才能というのはあるな、と。
努力にも限りがあって、出来ない人には出来ないこともある。
自分が何かに対して努めているのであれば、根性論を持ち出すことも構わないだろうけれど、それを他人から押しつけられたらたまったもんじゃないな、と。
86 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月08日 01:44 ▼このコメントに返信
こういうスレで釣り認定しても面白くないんだが