- 1:俺雑 ◆4jq2Aej3tU :2014/09/16(火) 22:42:25.89 ID:QcpX2H+D0.net
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具体的にどういう死因だよ
- 2:以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/09/16(火) 22:42:46.49 ID:kJq8zkf60.net
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プッツンしてチーンだよ
- 4:以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/09/16(火) 22:43:24.32 ID:VGWk2B700.net
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あれ見るたびに笑うからやめて欲しい
- 5:以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/09/16(火) 22:43:28.29 ID:AUCeetu20.net
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「もおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」→死

周 瑜(しゅう ゆ、175年 - 210年)は、中国後漢末期の武将。
小説『三国志演義』でも、孫策の挙兵にかけつけ、江東制覇に協力し、孫策の死後も孫権に仕え、張昭と並ぶ重臣となった。赤壁の戦いでは史実と同様、主戦派の重鎮として登場するが、劉備の使者として呉に滞在していた諸葛亮にその出会いのときから翻弄され続ける損な役回りを負わされている。自らの策を全て見透かす諸葛亮を危険視し暗殺を企むも果たせず、終始ライバル視しながらも遂に敵わず病に倒れる。臨終の際にも諸葛亮からの挑発的な書状を読み、「天はこの世に周瑜を生みながら、なぜ諸葛亮をも生んだのだ!(既生瑜、何生亮)」と血を吐いて憤死するという最期となっている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/周瑜
やけになって首かっさばいたか

ボニファティウス8世(Bonifatius VIII 1235年ころ - 1303年10月11日)は、中世のローマ教皇(在位1294年 - 1303年)。フランス王およびコロンナ家と争い、最晩年に起こったアナーニ事件の直後に「憤死」した。学術・文化の保護者としても知られる。
ギョーム・ド・ノガレとシアッラ・コロンナは、教皇御座所に侵入し、ボニファティウス8世を「異端者」と面罵して退位を迫り、弾劾の公会議に出席するよう求めた。教皇が「余の首を持っていけ」と言い放ってこれを拒否すると、2人は彼の顔を殴り、教皇の三重冠と祭服を奪った。これについては両者の思惑が異なり、シアッラは教皇を亡き者にしようと考えていたが、ノガレはのがれられないよう教皇をつかまえてフランスに連行して会議に出させ、いずれは退任させる腹づもりであった。2人は激しい言い争いになり、それが翌日までつづいたが、そうしている間にローマから駆けつけた教皇の手兵によりボニファティウス8世は救出された。教皇の監禁は3日間にわたり、ナポリ王カルロ2世とシチリア王フェデリーコ2世が教皇に対して暴力が振るわれていることを聞きつけて、その救出のための準備をしていたという。ボニファティウス8世は民衆の安堵と大歓声に迎えられてローマへの帰還を果たしたが、辱められた彼はこの事件に動揺し、この年の10月11日、急逝した[5]。高齢と長年の不摂生で腎臓を患っていたのが死因であるとされているが、人びとはこれを「憤死」と表現した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ボニファティウス8世 (ローマ教皇)
ハンガー・ストライキ(Hunger strike)とはマハトマ・ガンディーにより始められた非暴力抵抗運動の方法の一つである。何らかの主張を世間に広く訴えるために行うストライキの一種。「飢餓(ハンガー)によるストライキ」という意味である。略して「ハンスト」ともいう。
ハンガー・ストライキは命を賭けた抗議の示威行為である。投獄された同胞の待遇改善を求めハンガー・ストライキを始め、マスコミに時々刻々と様態を報道された北アイルランド独立運動の闘士は死に至るまでストライキを止めなかった。その後、同国では各地で暴動が起こった。このように死を賭したハンガー・ストライキは強い社会的影響力を及ぼすことがある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ハンガー・ストライキ
ハンガー・ストライキは命を賭けた抗議の示威行為である。投獄された同胞の待遇改善を求めハンガー・ストライキを始め、マスコミに時々刻々と様態を報道された北アイルランド独立運動の闘士は死に至るまでストライキを止めなかった。その後、同国では各地で暴動が起こった。このように死を賭したハンガー・ストライキは強い社会的影響力を及ぼすことがある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ハンガー・ストライキ

ちなみに俺は「鼻血を吹きすぎて死亡」と「飛んでいた鳥が落とした亀が頭にぶつかって死亡」の二人の死因が忘れられない
誰だっけ
前者はアッティラじゃね?

イタリアを去った後、アッティラはドナウ川を越えて彼の宮殿へ帰り、再度のコンスタンティノープル攻撃を計画し、東ローマ皇帝マルキアヌスが止めた貢税を再び要求した。だが、アッティラは453年前半に死去してしまった。歴史家プリスクスによる同時代の記録によると美しく若いイルディコ(もしも発音が濁っていなければ、ゴート族出身を思わせる[50])との結婚式の宴会の最中にアッティラは大量の鼻血を出し、意識を失って窒息死したとある。他の見方として、彼は大量の飲酒か食道静脈瘤によって内出血を起こして倒れたと考えられる[51]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/アッティラ
庭に隕石が落ちてきて死亡も追加で
趙思温(ちょう しおん、生年不詳 - 939年)は、遼(契丹)の軍人・政治家。字は文美。盧龍軍の人。
938年、耶律牒に従って後晋に冊礼使としておもむき、帰還すると、検校太師の位を加えられた。
939年、庭に隕石が落ちて、亡くなった。太師・魏国公の位を追贈された。
http://ja.wikipedia.org/wiki/趙思温
938年、耶律牒に従って後晋に冊礼使としておもむき、帰還すると、検校太師の位を加えられた。
939年、庭に隕石が落ちて、亡くなった。太師・魏国公の位を追贈された。
http://ja.wikipedia.org/wiki/趙思温
落ちてきた亀に当たって死亡ってマリオみたいな死因だな
後者解決した。アイスキュロスっていう悲劇詩人だった
まさか自分の死因が一番の悲劇になるとも知らずに

アイスキュロス(Αισχύλος, Aischylos, 紀元前525年 - 紀元前456年)は、古代アテナイの三大悲劇詩人のひとりであり、アッティカ悲劇の確立者。
カメを岩へ落として食べるヒゲワシに、頭を岩と間違えられカメを落とされたという伝説的な死因が伝わっている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/アイスキュロス
作霖爆殺事件(ちょうさくりんばくさつじけん)は、1928年(昭和3年、民国17年)6月4日、中華民国・奉天(現瀋陽市)近郊で、関東軍によって奉天軍閥の指導者張作霖が暗殺された事件。別名「奉天事件[1]」。中華民国や中華人民共和国では、事件現場の地名を採って、「皇姑屯事件」とも言う。終戦まで事件の犯人が公表されず、日本政府内では「満洲某重大事件」と呼ばれていた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/張作霖爆殺事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/張作霖爆殺事件
血行障害とビタミンAの過剰摂取で死んでたらたぶん憤死扱いだったな
逆に考えると、われわれの感情の起伏が乏しくなったせいで、憤死が縁遠くなってしまったと言えるのかもしれない
孫策は狩りしてるときに暗殺されたんじゃなかったっけ

孫 策(そん さく、175年 – 200年)は中国の後漢末の武将。
突然の死
200年、孫策は曹操の主力が袁紹に向かっている隙を狙い、曹操の本拠である許都攻略を計画する。[6]しかしその矢先、許貢の残党により長江のほとりで襲撃されて重傷を負ってしまう。『三国志』討逆伝によれば、一族の陳瑀の件で以前より孫策と対立していた陳登が報復として厳白虎や許貢の残党を扇動し孫策の背後を突かせようとした。孫策はそれに怒り陳登討伐に向かったが、その途上で狩りの最中に許貢の残党に襲われたとある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/孫策
実際は心臓や脳の急性疾患から体調を崩しての病死まであるはず
元スレ : http://viper.2ch.sc/test/read.cgi/news4vip/1410874945

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1 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 14:56 ▼このコメントに返信 憤死=循環器系が原因
2 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 14:57 ▼このコメントに返信 正史だと周瑜さん別に孔明ライバル視もしてないんだけどね
孔明も周瑜のこと褒めてるし
3 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 14:59 ▼このコメントに返信 ノガレはのがれられないよう
ってwiki狙いすぎだろ
4 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 15:01 ▼このコメントに返信 悔しさやストレスのあまり病んで亡くなったら憤死って事でいいのかな
それまでずっと密かに進行していた病気が表に出て来たってのが大半だろうけど
5 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 15:01 ▼このコメントに返信 原因不明の病気だろ。主に内蔵系をやられて、血を吐きながらうめきながら死んだら大抵「憤死」になる。その方がカッコいいからな。
6 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 15:06 ▼このコメントに返信 憤死=古墳に無理やり入れられて死亡
7 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 15:09 ▼このコメントに返信 下痢の勢いが凄まじすぎてショック死
8 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 15:09 ▼このコメントに返信 憤死ときいて韓国人を思い出した
9 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 15:10 ▼このコメントに返信 米2
正史だと周瑜は赤壁以前は特に記述が無く、以後はすぐ死ぬ役回りだし
今ではその赤壁自体が無かったことが濃厚というある意味演義より可哀想な周瑜さん
悲しい死に方といえば膝下ぐらいの川で溺死した国王とかいたな
10 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 15:11 ▼このコメントに返信 「男女三日会わずんば刮目して見よ」の人の死に方が悲惨だろ。
11 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 15:17 ▼このコメントに返信 高校の世界史の先生が憤死を体で表現して爆笑した記憶がある
12 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 15:23 ▼このコメントに返信 米9
甲冑は自分じゃ起き上がれんからな…
フリードリヒ1世カワイソス(´・ω・`)
13 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 15:26 ▼このコメントに返信 >庭に隕石が落ちて、亡くなった
なんか笑った
14 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 15:28 ▼このコメントに返信 畜生ォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!
15 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 15:29 ▼このコメントに返信 石を撒いて人を転ばせようとして、自分が転んで死亡ってのもあったな
16 名前 : 暇潰しの名無しさん投稿日:2014年09月17日 15:31 ▼このコメントに返信 たしか陸孫の子供も孫権の子供が言うこと聞かなくて憤死したはず
17 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 15:31 ▼このコメントに返信 怒りっぽい人が突然死んだら憤死っぽい
18 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 15:32 ▼このコメントに返信 脳卒中でしょ
グインサーガのモンゴール王がこんな感じだったな
19 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 15:33 ▼このコメントに返信 つまり脳溢血って事か?
20 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 15:35 ▼このコメントに返信 米9
記述が特に無いって、あれだけの文章をまるっと無視したら歴史なんか語れないだろう
周瑜居ないと孫呉が成立しないか、しても降伏してしまって「三国」志にならないじゃん
21 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 15:36 ▼このコメントに返信 トイレでしんだ上杉謙信も何気に悲しい。
これも脳卒中らしいが。
22 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 15:37 ▼このコメントに返信 米10
男子の間違いと思うけど、呂蒙なら普通に病死だろ?
23 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 15:43 ▼このコメントに返信 ※20
だって三国史の作者陳寿自体が二国の知識しかなくて呉書に関しては他人の丸写しなんだもの
しかも魏書と蜀書の記述とかなり食い違ってるし
赤壁前後の記述はあるしその時代で尊敬を受けてるんだからすごい人なんだろうけど
歴史上の評価としては赤壁前後のほんの短い期間しか特に事績がないんだよ
24 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 15:43 ▼このコメントに返信 >>31
やっぱりハゲって罪だわ
25 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 15:52 ▼このコメントに返信 >>31
ヒゲワシ「日に焼けた禿頭って岩にしか見えんし」
26 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 15:54 ▼このコメントに返信 最近だと胡耀邦とかだな
本当かどうか微妙なのも特徴
27 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 15:56 ▼このコメントに返信 総統が○○にお怒りのようですシリーズで
おっぱいぷるーんぷるーん
ちくしょーめえええええええええええ!!
↑
この時に血圧があがりすぎて血管破裂、そのまま帰らぬ人に
みたいなのが憤死って奴じゃないかと想像してたわ
28 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 16:01 ▼このコメントに返信 ガキの頃トイレで力んだら鼻血出たし、トイレで死ぬってのはありそう。
29 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 16:02 ▼このコメントに返信 ※22
書き間違えた、男子だわ。
呂蒙は身体中の穴から血を吹き出して死んだ…とされているんだよ。
まあ、演義の方だけどね。
30 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 16:03 ▼このコメントに返信 亀の間接的な原因はハゲだよな
やっぱハゲこじらせてしまうと死んでしまうんだ
怖い
31 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 16:08 ▼このコメントに返信 死の直前まで悔やしんでいた様子なら憤死と解されるんじゃね
32 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 16:08 ▼このコメントに返信 爆殺とか字面がもうね
33 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 16:17 ▼このコメントに返信 クモ膜下出血で亡くなると、目は真っ赤に充血し、顔は真っ赤。中枢性ストレスで急性出血性潰瘍おこして吐血もする。なにも知らない奴が見れば、まさに憤死というしかないだろう。そんな感じだったんじゃないか。
34 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 16:18 ▼このコメントに返信 暴れて手がつけられなくなったり
皆の迷惑になる行動に走ったから◎したって事らしいよ。
35 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 16:30 ▼このコメントに返信 憤死(暗殺)
36 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 16:31 ▼このコメントに返信 憤り嘆きつつ、無念のままに死んだって事じゃね
37 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 16:44 ▼このコメントに返信 世の中には、「頓死」(大概は暗殺)というのもあってだな。
まだ、憤死の方がいいかもね。
38 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 16:47 ▼このコメントに返信 ファビョ死
39 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 16:53 ▼このコメントに返信 ネットでも居そう
40 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 16:58 ▼このコメントに返信 「ノガレはのがれられないよう教皇をつかまえて」
ワロタ
41 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 17:02 ▼このコメントに返信 平安時代かの天皇で女中に仕掛けたいたずらに自分が掛かって死んだってのがあったような
42 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 17:10 ▼このコメントに返信 現代的に
死因はなんですか?
憤死です
って言われたら、困るか笑うかどっちかだわ。
43 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 17:16 ▼このコメントに返信 米27
くだらねえけどものすごくわかりやすくて凄い負けた気分
44 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 17:23 ▼このコメントに返信 >ノガレはのがれられないよう
ここで思わず吹いた
45 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 18:08 ▼このコメントに返信 Wikiに載ってる三国志の情報は演義が混じってるんじゃないの?
46 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 18:12 ▼このコメントに返信 5でワロタ
47 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 19:06 ▼このコメントに返信 最後の資料の絵が天野絵っぽくて草
チョロンとかポーズとか
48 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 19:06 ▼このコメントに返信 まあでも怒り過ぎは早死にするらしいよ
49 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 19:13 ▼このコメントに返信 アナニー事件
50 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 19:33 ▼このコメントに返信 ハンストでもいいなら、栄養剤点滴しながらのハンストもいいニダ。
51 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 19:35 ▼このコメントに返信 アイゴーアイゴーアイゴー
バタっ
そんなにうまくいかないなぁ。
52 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 19:54 ▼このコメントに返信 火病は最後に気を失うから、憤死は無理かと。
逆に血の気が引く状態だそうだし。
53 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 19:57 ▼このコメントに返信 >>27
ビタミンAは油溶性だからなめるくらいなら全然オッケーやで
54 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 20:52 ▼このコメントに返信 米11
まさかカノッサの屈辱じゃないよな?
55 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 20:55 ▼このコメントに返信 昔はボクシング見たり
野球の助っ人外国人の圧倒的パワーを目の当たりにしたお年寄りが興奮のあまり死んだりしてるし
精神がシンプルだと感情の高ぶりで死ぬって本当にありそう
56 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 21:15 ▼このコメントに返信 すげえ怒る事によって死ぬんじゃなくて
すげえ怒りながら死ぬって事だと思ってた
孤独死的な
57 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 21:20 ▼このコメントに返信 >飛んでいた鳥が落とした亀が頭にぶつかって死亡
なにその大昔のアクションゲームみたいな死因
58 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 21:43 ▼このコメントに返信 于禁は関羽の捕虜となるも、荊州が呉に奪われると孫権の賓客となり、曹操死後に他の捕虜と共に孫権から魏に返還される。髪も髭も真っ白にやつれた于禁に対し、曹操の後継者の曹丕は表向きはねぎらいつつ于禁を呉への使者に任命し、その前に曹操の墓(高陵)を参拝させた。そこには于禁が関羽に降服し龐徳が降伏を拒んでいる場面が描かれており、これを見た于禁は恥と怒りのため病に倒れ病没した。
59 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 21:45 ▼このコメントに返信 実際高血圧は死に至るから危険
※52
本場のは鬱病で病むからな
そして暴力の爆発へ
60 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月17日 21:46 ▼このコメントに返信 >飛んでいた鳥が落とした亀が頭にぶつかって死亡
ピコ! テテッテテッテテズズンズズン脳内再生キタw
61 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月18日 01:11 ▼このコメントに返信 上空からおっさんのハゲ頭に落とされて死ぬカメ
62 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月18日 02:37 ▼このコメントに返信 へうげもので、豊臣秀長が黒田如水のせいで憤死してたな
63 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月18日 03:49 ▼このコメントに返信 まあ、実際は不遇な境遇に置かれた事による心労による病死や、たまたま病気で死にかけだった所で不遇な境遇に置かれたタイミングで失意の内に死んだ事、
あるいは鬱を発症しての自殺、抗議の自決(いわゆる諫死)なんかも文献上では全部「憤死」という事で片付けられているんだろうけどな
64 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月18日 04:18 ▼このコメントに返信 美味しんぼの唐山陶人先生とか大原社主が時々山岡のせいで噴死しかけてるあれかw
お前という奴は、お前という奴は〜〜!!→うーん(白目)
65 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月18日 12:13 ▼このコメントに返信 演技の王朗がまっさきに思い浮かんだ。
66 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月18日 23:38 ▼このコメントに返信 過呼吸?
67 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月19日 23:08 ▼このコメントに返信 やっさんもそうなのかな?