- 1:風吹けば名無し@\(^o^)/:2014/09/21(日) 01:41:17.26 ID:B/Zeravr.net
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ぐう有能
- 4:風吹けば名無し@\(^o^)/:2014/09/21(日) 01:42:25.73 ID:u2COg3qu.net
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さぞかし地味な作業やったやろなあ
- 6:風吹けば名無し@\(^o^)/:2014/09/21(日) 01:42:38.96 ID:sT6PVIEj.net
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忍者やぞ
- 7:風吹けば名無し@\(^o^)/:2014/09/21(日) 01:43:07.52 ID:B/Zeravr.net
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あの時代にあそこまで精確な地図作るとかすご杉内
ギャグマンガ日和のやつってどんな話なん
お供「なんとなしにお供してたけど全国旅して何してたんや?」
伊能「日本地図つくってたんや」
お供の宇宙人「あ、日本地図ならありますよ」
お供の宇宙人って単語だけで草生える
いつの間にか日本語ぺらぺらやしな
これすき
面白いと思う
うーんこの
マジかよ伊能最低だな
ホンマモンのクリエイティブマンやで
それでも凄いけど

間宮 林蔵(まみや りんぞう、安永9年(1780年) - 天保15年2月26日(1844年4月13日))は江戸時代後期の隠密、探検家である。
伊能忠敬が間宮に測量の技術を教授し、間宮の測量の精度があがったという。忠敬がスケジュールの都合上全ての蝦夷地を測量できなかったとき、残りの蝦夷地測量を間宮が代わりに測量して測量図を作った。その結果、大日本沿海輿地全図の蝦夷以北の地図は最終的に忠敬の測量図と間宮の測量図を合体させたものになったという。
http://ja.wikipedia.org/wiki/間宮林蔵
間宮林蔵は北海道だけ
今まで北海道も伊能忠敬が描いたと言われてたが
伊能も実際に地図を作ったが間宮が作ったほうが正確ってことで
北海道部分の地図は完全に間宮の物が使われてる
残ってる伊能の北海道地図は結構誤差があって形も変
この手の逸話はどこで知るねん
最近ニュースになってただろ
伊能忠敬の地図を研究してるグループが発表したばかりやん
伊能忠敬の地図 間宮林蔵が北海道全域測量か
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG1803L_Y4A810C1CR8000/
その国の文化水準見るには地図見るのが早いからな
日本でも和算専門家がヨーロッパと似たような時期に微積分見つけて使ってたからそらビビるやろ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E5%AD%9D%E5%92%8C
関孝和
>暦の作成にあたって円周率の近似値が必要になったため、1681年頃に正131072角形を使って小数第11位まで算出した
>ヤコブ・ベルヌーイより1年早くベルヌーイ数を発見していたことも知られている
ファッ!?
13万角形とか草生える
シーボルト事件なんてのもあるし
文政11年(1828年)9月、オランダ商館付の医師であるシーボルトが帰国する直前、所持品の中に国外に持ち出すことが禁じられていた日本地図などが見つかり、それを贈った幕府天文方・書物奉行の高橋景保ほか十数名が処分され、景保は獄死した(その後死罪判決を受けている)。シーボルトは文政12年(1829年)に国外追放の上、再渡航禁止の処分を受けた。当時、この事件は間宮林蔵の密告によるものと信じられた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/シーボルト事件
71歳で完成
73歳で死亡
年齢なんて関係ないですわ
完成はしてなかったんちゃうの
ウィキペディア見たら指摘の通り完成してなかったみたいや
すまんな
地図の作成作業は、当初は文化14年の終わりには終わらせる予定だったが、この計画は大幅に遅れた。これは、忠敬が地図投影法の理論を詳しく知らなかったため、各地域の地図を1枚に合わせるときにうまくつながらず、その修正に手間取ったためと考えられている。
忠敬は新しい投影法について研究し、資料を作りはじめた。しかし文化14年秋ごろから喘息がひどくなり、病床につくようになった。それでも文化14年いっぱいは、地図作成作業を監督したり、門弟の質問に返事を書いたりしていたが、文政元年(1818年)になると急に体が衰えるようになった。そして4月13日、弟子たちに見守られながら満73歳で生涯を終えた。
地図はまだ完成していなかったため、忠敬の死は隠され、高橋景保を中心に地図の作成作業は進められた。
文政4年(1821年)、『大日本沿海輿地全図』と名付けられた地図はようやく完成した。7月10日、景保と、忠敬の孫忠誨(ただのり、幼名三治郎)らは登城し、地図を広げて上程した。そして9月4日、忠敬の喪が発せられた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/伊能忠敬
つっても概要みたいなんはほぼ完成してて死後に弟子が手直ししたって感じやったはずや
名前すら知らんが弟子も弟子で凄い
知識欲
元は、北極星の高度を測りたいいうんがアマチュア天文家としての野望
そのためには測量が必要でいつの間にやら地図製作が本業に
サンガツ
やっぱ昔の知識人ってすごいわ
船使ったのか泳いだのかわからんけど小島が点々としてる海岸は実際に小島まで行って測量したらしい
楽しそう
大変やなぁ
スパイやったかどうかの証拠はないが、藩によっては幕府のスパイやないかと警戒してたいう資料はあるらしい
スパイなのは伊能忠敬ではなく間宮林蔵
間宮林蔵は対ロシア用の隠密として北海道に送られた
一方伊能忠敬は数学と天文学のプロで幕府と関係無く
村のA地点とB地点から北極星の角度を調べて
A地点とB地点の測量をして、そこから地球の円周を計算して導く学問をしてた
ある日、幕府に見つかって事情聴取されると幕府は
「そんな短い距離じゃ誤差があるだろ」「江戸と水戸でやれば誤差が減る」と
江戸から水戸を測量することになって、そこから初めて測量士になって地図を作ることになった
各藩へのスパイという噂も根強いが利根川も淀川も名古屋城も大阪城もない地図は軍事レベルで使えない
あれはあくまで海岸線だけの地図だから幕府が外国勢力を警戒して海岸警備に使うためのものでしかない
幕府に見つかっていうか、そもそも幕府天文方の高橋至時の弟子や
高橋の推挙で地図作成に携わることになった
至時はこうした北方の緊張を踏まえた上で、蝦夷地の正確な地図をつくる計画を立て、幕府に願い出た。蝦夷地を測量することで、地図を作成するかたわら、子午線一度の距離も求めてしまおうという狙いである。そしてこの事業の担当として忠敬があてられた。忠敬は高齢な点が懸念されたが、測量技術や指導力、財力などの点で、この事業にはふさわしい人材であった。
至時の提案は、幕府にはすんなりとは受け入れられなかった。寛政11年(1799年)から寛政12年(1800年)にかけて、佐原の村民たちから、今までの功績をたたえて伊能忠敬・景敬親子に幕府から直々に名字帯刀を許可していただきたいとの箱訴が出されたが、これも、忠敬が立派な人間であることを幕府に印象づけさせて、測量事業を早く認めさせるという狙いがあったとみられている(この箱訴は第一次測量後の享和元年(1801年)に認められ、忠敬は今までの地頭からの許可に加え、幕府からも名字帯刀を許されることとなった。)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/伊能忠敬
忍者説聞いたことがある
歩くスピードが異常やからな
近世は忍者説たてられる人間多すぎや
まあ同じようなもんやけど、それや
でももしかしたらワイが聞いたのは松尾芭蕉だったかもしれん
どっちにもそういう説があるのかもしれないが
芭蕉も忍者説あるで、てかそっちのが有名ちゃうかな
俳句おじさんは故郷も伊賀やったろ確か
知識欲?知らん
仕事他人に任せるの怖いって感じる時あるやん?
当時は諸藩を経由するため現代みたいに自由な行き来は難しかったんや
だから幕名を受けた伊能の存在は絶対に欠かせなかった
ホワイトハウスかどっかにB5用紙サイズごとに区切った原寸モデル何十枚かが保管されてた気がする

関 孝和(せき たかかず/こうわ、寛永19年(1642年)3月? - 宝永5年10月24日(1708年12月5日))は、日本の江戸時代の和算家(数学者)である。本姓は藤原氏。旧姓は内山氏、通称は新助。字は子豹、自由亭と号した。
関は和算が中国の模倣を超えて独自の発展を始めるにあたって、重要な役割を果たした。特に宋金元時代に大きく発展した天元術を深く研究し、根本的な改良を加えた。延宝2年(1674年)に『発微算法』を著し、点竄術(てんざんじゅつ)すなわち筆算による代数の計算法を発明して、和算が高等数学として発展するための基礎を作った。世界で最も早い時期に行列式・終結式(英語版)の概念を提案したことはよく知られる。
明治以後、和算が西洋数学にとって代わられた後も、日本数学史上最高の英雄的人物とされた。上毛かるたでも「和算の大家 関孝和」と詠われている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/関孝和
当時の日本人と今の日本人じゃ進数が違うらしいからね
過去を振り返りにくいね
歴史の教科書が悪い
現代でも数学者って名前知られてないししゃーない
南方熊楠とかも大天才やけどわかりやすい功績ないから
能力に比べて圧倒的に無名やろ
残念だが当然
実際間宮のおかげで北海道をロシアにとられんかったわけやし
今よりも整備されてないやろし崖のところはどうやってたんや
小舟出して沖から測量してたらしい
波に揺られて測りにくかったやろうに
よくやったな
超高給取りやったし


この誤差って地球の丸さを補正できなかったんかねぇ
多分地球が真円だと思ってたんやろ
実際は楕円だから誤差が出ると
たしかそうだったはず
地球が球体なんは分かっとったはずやがどうなんやろ
鳥取だか島根だかの上にある丸こい島はなんやこれ
山陰沖やったら隠岐の島ちゃうんか?
この頃の薩摩は幕府に敵対してなかったんちゃうかったっけ
同緯度の異なる経度の地点から北極星の高度を測定した時のずれで地球の直径がが算出できる
途中で賊とかに襲われんかったんやろうか
幕府の命を受けてるから測量隊には護衛が付く
【事前登録】他のスマホ用MORPGとは一線を画すゲームが登場!簡単タップの爽快アクション
期待の超大作!最大8人での協力プレイや、PCオンラインゲーム並みのコンテンツボリュームに注目
元スレ : http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1411231277/l50



























































































1 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月21日 19:46 ▼このコメントに返信 >>14
そこは異能だろ
2 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月21日 20:01 ▼このコメントに返信 自分の町でさえ正確な形作れないわ
3 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月21日 20:04 ▼このコメントに返信 これは素晴らしい老害
4 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月21日 20:15 ▼このコメントに返信 NHKの大河ドラマにすればいいのにな
5 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月21日 20:22 ▼このコメントに返信 無能です
はい
6 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月21日 20:23 ▼このコメントに返信 徒歩で日本中測量
変態やな
7 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月21日 20:25 ▼このコメントに返信 測量ってすごい、ってかイノウさんもっとすごい。
8 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月21日 20:28 ▼このコメントに返信 歴史が大の苦手で織田信長が何した人なのかって事すら覚えてないけど、この人が地図作ったって事はよく覚えてるわ
初めて知った時は衝撃を受けた
9 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月21日 20:38 ▼このコメントに返信 シーボルトって地図以外にも色々日本のものをヨーロッパに紹介してたんだよね
日本原産のミセバヤを紹介する時に、学名にH.sieboldii(シエボルディー)って自分の名前つけちゃってるし、
こういうのが結構あるんだわ
10 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月21日 20:38 ▼このコメントに返信 加藤剛が主演の伊能忠敬の映画があったような。今度レンタルで探してみようかな
11 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月21日 20:39 ▼このコメントに返信 サンキューイッノ
12 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月21日 20:41 ▼このコメントに返信 人間50年とか言うとる時代に55歳でスタートとかただただ恐れ入るわ
13 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月21日 20:41 ▼このコメントに返信 地元の英雄
14 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月21日 20:43 ▼このコメントに返信 許可を与えた幕府ですらまさか達成するとは思ってもいなかっただろうな
15 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月21日 20:45 ▼このコメントに返信 いくら幕府の命とは言え領内を測量とかしてたらそりゃ隠密かと疑いますわ。薩摩藩とかなら謀殺しかねないぞ
16 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月21日 21:00 ▼このコメントに返信 大河ドラマしちゃいなよ
17 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月21日 21:08 ▼このコメントに返信 今、大河ドラマにしようと市が総力を挙げてるよ
18 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月21日 21:08 ▼このコメントに返信 恐ろしく地道すぎる偉業
19 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月21日 21:10 ▼このコメントに返信 旅から戻ってきた時、歯一本だけやったらしいぞ
20 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月21日 21:20 ▼このコメントに返信 なにが凄いってこのおっちゃんが旅の途中で改良してバージョンアップさせた測量技術が
今も建築現場の基礎工事とかで使われてるってとこ
21 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月21日 21:26 ▼このコメントに返信 極々最近まで使われてたんやないの地図?
22 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月21日 21:28 ▼このコメントに返信 現代の地図とのずれは、基準点を江戸に置くか京都に置くかで変わったと聞いたことがある
23 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月21日 21:34 ▼このコメントに返信 伊能忠敬はなぜgoogle mapを使わなかったの?
24 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月21日 21:56 ▼このコメントに返信 米23
当時のパソコンは性能低かったししゃあない
25 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月21日 21:58 ▼このコメントに返信 素直に尊敬できる
26 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月21日 22:08 ▼このコメントに返信 異能忠敬…触れ得ざる者になっちまうだろw
27 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月21日 22:14 ▼このコメントに返信 聖杯戦争に出てもおかしくない
28 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月21日 22:16 ▼このコメントに返信 そのうち、天地明察の作者が小説化しそうな人だな
29 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月21日 22:25 ▼このコメントに返信 定期的に上がってくる伊能スレのなぞ。
30 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月21日 22:55 ▼このコメントに返信 消防の時初めて伊能忠敬を知った時の衝撃度
31 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月21日 23:08 ▼このコメントに返信 テレビやインターネットが無い時代の測量だから娯楽感覚だったのかも。
32 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月21日 23:54 ▼このコメントに返信 高橋至時の弟子になるまでの前半生も面白いわ
33 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月22日 00:53 ▼このコメントに返信 ペリーが驚いた話し好き。
しかし全国を歩いて測量って、先人の熱意に驚くわ。
34 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月22日 01:42 ▼このコメントに返信 大河ドラマ、新島八重とか誰も知らんようなのやるくらいなら断然こっちやるべきだよなぁ。
伊能忠敬1人じゃなくて測量に関わった人も含めてやったら面白いと思う。
35 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月22日 02:43 ▼このコメントに返信 伊能忠敬と杉田玄白は俺の中で江戸時代の二大マジ基地学者だな。
関孝和は突然変異かなんかだろアレ。
36 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年09月22日 15:24 ▼このコメントに返信 さつまいも養殖おじさんってだれだよ
37 名前 : 暇潰しの名無しさん投稿日:2014年09月23日 16:44 ▼このコメントに返信 どっかの怖い話で伊能忠敬が作った地図には霧島って存在しない島が書いてあるとか見たことあるな
38 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2014年10月02日 04:30 ▼このコメントに返信 南北誤差が無くて東西誤差が大きいのは精密な時計が無かったせいやで。
木星の衛星の位置を時計代わりにする方法も試してたけどまともな望遠鏡もないし天気が悪かったりして失敗してる。