1: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2015/07/04(土) 13:33:56.205 ID:nf5K5MGX0.net

no title



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10: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2015/07/04(土) 13:41:28.412 ID:XpAIeTgo0.net
ほんとにまんまだな

3: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2015/07/04(土) 13:35:04.932 ID:qNDq4fmvd.net
元はスーファミにくっつける奴だったんだけど

38: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2015/07/04(土) 16:08:04.360 ID:s9kI14AS0.net
はい

no title



ベテランゲーマーであれば一度は耳にしたことがあるかも知れない、ソニーと任天堂が共同開発していたCD-ROM搭載スーパーファミコンこと「PlayStation(プレイステーション)」。すったもんだの末に結局お蔵入りしてしまった本機は「幻のPlayStation」とも呼ばれていますが、その試作機が海外で発見! 貴重な写真が数枚公開されています。
http://www.gamespark.jp/article/2015/07/04/58288.html


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4: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2015/07/04(土) 13:35:29.165 ID:SfbyN1MA0.net
そりゃスーパーファミコンに繋げる予定の「プレイステーション」だからじゃないの?

6: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2015/07/04(土) 13:36:37.151 ID:yIiveG0X0.net
任天堂が土壇場で白紙にしてソニーがキレた

7: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2015/07/04(土) 13:37:10.065 ID:EsLzLUEp0.net
これを発売してればゲハ争いはなかったのだろうか

14: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2015/07/04(土) 13:45:23.708 ID:KOk2/lJRd.net
>>7
セガはハードメーカーとして今も健在で、任天堂とセガの2強時代だったろうな

13: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2015/07/04(土) 13:44:08.239 ID:ecRqFGqN0.net
裏に任天堂って書いてあるね

17: きなこ爺 ◆RJZUXs1HCk 2015/07/04(土) 13:48:40.742 ID:7jdtyaK50.net
この情報のおかげでスーファミの下の端子の謎がとけたんよ

23: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2015/07/04(土) 14:04:30.548 ID:m9HLJD750.net
知らない奴いるんだな

任天堂のスーパーファミコンにPCM音源を提供する事業の仕掛け人だった久夛良木健が、同事業に引き続き、スーパーファミコンのCD-ROMドライブ拡張機器「スーパーファミコン CD-ROMアダプタ」の共同開発事業の約束を取り付けたのに端を発する。当時の久夛良木は業務用のデジタルビデオエフェクタ「システムG」をゲームに転用してビジネス化出来ないかと考えていた。
ただし、当時ソニー内ではソニーのイメージを損なうとしてゲーム事業への進出に反対する社員が多く、久夛良木自身も「異端児」と呼ばれており逆風が強かった。この事業にゴーサインを出したのが当時社長の大賀典雄である。

1989年10月から共同開発が始まり、翌1990年1月には大賀典雄(ソニー)と山内溥(任天堂)の間で両社の締結を確認する合意文書が作られた。開発コードネームは「プレイステーション」[8][9]。
ソニーはスーパーファミコンとCD-ROMの一体型マシンを発売することになり、CD-ROMアダプタは玩具流通で任天堂ブランドで発売し、プレイステーションは家電流通によりソニーブランドで発売する計画で、プレイステーションの価格は49800円を予定していた[10]。ソニーはスーパーファミコンの開発機器「NEWS」を製作するなど任天堂と交流を深めていった。

しかし、1991年6月のシカゴでのコンシュマー・エレクトロニクス・ショーにおいて、ソニーがプレイステーションの試作機を発表するものの、任天堂はソニーとの共同開発計画ではなく、フィリップスとの提携と、CD-iでのゲーム開発を発表。交渉の中心となったのは任天堂米国法人であった。フィリップスによるスーパーファミコンCD-ROMは任天堂がライセンスを持ち、同社のソフト管理システムを維持する契約内容であった[11]。
スーパーファミコンCD-ROMソフトはスーパーディスクと名付けられ、任天堂ではなくソニーがライセンスを有することになっていた。当時のコンシューマー機のソフトはROMカセットが主流であり、CD-ROMは付属的な立場のメディアとして認識されていたため、任天堂はCD-ROMの権利を重視していなかった。しかし、任天堂米国法人社長だった荒川實がアメリカのコンピューター業界でのCD-ROMの躍進ぶりを目の当たりにしており、この契約のままだと任天堂がソニーの従属的立場になると危機感を抱き、山内溥にソニーとの提携を止めるように口説いたとされている[12]。この裏切りは数日前に任天堂からソニーに伝えられたが久夛良木までは伝わらず、新聞報道で初めて知ったという。

ソニーは抗議したものの、任天堂の言い分は「契約は生きており、ソニーが「スーパーファミコン CD-ROMアダプタ」を発売するのは構わないが、任天堂は別の規格を採用する」というものであり[13]、その後も粘り強く交渉が続けられたものの任天堂の決定は覆らなかった。

ソニーだけの規格では市場が広がらないと判断されたことから、スーパーファミコン互換機は開発を中断することになり、既にゲームソフトの製作を進めていたソニー・ミュージックエンタテインメントは、マーク・フリントによる『フォルテッサ』[5](5億円を投じていた)、『沈黙の艦隊』『フック』などを没企画にし、15億円の損失を出したとされる[14]。山内溥社長は、ソニーがゲームソフトを作った事に激怒していたという[15]。

これらの騒動により、久夛良木ら開発陣は社内での居場所を無くすが、大賀典雄の判断により、丸山茂雄率いるソニー・ミュージックエンタテインメントのゲーム部門に一時的に避難させられることになった。

1992年6月24日のソニーの経営会議で、ゲーム事業への進出の是非が議論になり、大半の役員が反対意見を投じる中、経緯説明のために会議に参加した久夛良木が、「我々は本当にこのまま引き下がっていいんですか。ソニーは一生、笑いものですよ」と食ってかかり[16]、試作品はほぼ出来上がっている事を公表。最終的に大賀がゴーサインを出し、ゲーム事業への進出を決断した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/PlayStation_(ゲーム機)

24: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2015/07/04(土) 14:04:50.193 ID:rnvEsbIa0.net
いいね

26: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2015/07/04(土) 14:25:26.353 ID:Wmu8jxWWa.net
正直兄に裏切られたショックでダークサイドに落ちてラスボス化とか
すげえ境遇だよなプレイステーション

31: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2015/07/04(土) 15:04:07.837 ID:tNEc4e0id.net
>>26
お前ゲーム機戦争見てただろ
関係者が作った動画なだけあって展開が面白いわ

http://www.nicovideo.jp/watch/sm13492123

39: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2015/07/04(土) 16:11:31.261 ID:q+2pVS3K0.net
鼻から吸引するプレステまだかよ

16: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2015/07/04(土) 13:48:33.225 ID:SfbyN1MA0.net
任天堂セガMicrosoftだったら今のゲームはどうなってたんだろうな

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引用元: http://viper.2ch.sc/test/read.cgi/news4vip/1435984436