1: 名無しさん@おーぷん 2015/07/16(木)01:42:37 ID:pDT
八甲田雪中行軍遭難事件の記事見て後悔してるンゴ・・

八甲田雪中行軍遭難事件(はっこうだせっちゅうこうぐんそうなんじけん)は、1902年(明治35年)1月に日本陸軍第8師団の歩兵第5連隊が青森市街から八甲田山の田代新湯に向かう雪中行軍の途中で遭難した事件。訓練への参加者210名中199名が死亡(うち6名は救出後死亡)するという日本の冬季軍事訓練における最も多くの死傷者が発生した事故であるとともに近代の登山史における世界最大級の山岳遭難事故である。

https://ja.wikipedia.org/wiki/八甲田雪中行軍遭難事件




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 【事前予約】三国志好き必見!奥深い戦略性とやりこみ要素に注目


 


3: 名無しさん@おーぷん 2015/07/16(木)01:46:56 ID:C8i
三毛別羆事件(さんけべつひぐまじけん)とは、1915年(大正4年)12月9日 - 12月14日にかけて、北海道苫前郡苫前村(現:苫前町古丹別)三毛別(現:三渓)六線沢で発生した、クマの獣害(じゅうがい)としては記録的な被害を出した事件。六線沢熊害事件(ろくせんさわゆうがいじけん)、苫前羆事件(とままえひぐまじけん)とも呼ばれる。羆(ヒグマ)が数度にわたり民家を襲い、開拓民7名が死亡、3名が重傷を負った。事件を受けて討伐隊が組織され、問題の熊が射殺されたことで事件は終息した。

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https://ja.wikipedia.org/wiki/三毛別羆事件


飛騨川バス転落事故(ひだがわバスてんらくじこ)とは1968年(昭和43年)8月18日、岐阜県加茂郡白川町の国道41号において、乗鞍岳へ向かっていた観光バス15台のうち、岡崎観光自動車[1]所有の2台のバスが、集中豪雨に伴う土砂崩れに巻き込まれて増水していた飛騨川に転落し、乗員・乗客107名のうち104名が死亡した事故である。日本のバス事故史上における最悪の事故となった。

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https://ja.wikipedia.org/wiki/飛騨川バス転落事故

4: 名無しさん@おーぷん 2015/07/16(木)01:47:47 ID:V2n
三毛別のやつとかはいつ見ても怖い

26: 名無しさん@おーぷん 2015/07/16(木)02:23:38 ID:rza
サンケベツの熊の事件が悲惨過ぎて泣く

6: 名無しさん@おーぷん 2015/07/16(木)01:48:56 ID:C8i
下のバスの絶望しかない状況とかね…
飛行機形はテンポ早いし、客サイドからの絶望感が少ない

7: 名無しさん@おーぷん 2015/07/16(木)01:50:14 ID:C8i
>>6
飛行機系

だから御巣鷹のインパクトはデカイ

9: 名無しさん@おーぷん 2015/07/16(木)01:52:20 ID:nCm
>>7
事故ってから飛び続けるのは珍しいケースやから余計悲惨なんよね
震えた字の遺書とか見てられへん

17: 名無しさん@おーぷん 2015/07/16(木)02:08:34 ID:iDl
バスの奴見たけどきっついなあ


バスの乗客107名のうち生き残ったのが3人だけ
そのうちの1人が14歳の中学生で家族は全員亡くなってる

18: 名無しさん@おーぷん 2015/07/16(木)02:12:09 ID:nCm
>>17
しかも生存した中学生も孤独感から自殺やで
悲愴杉内

19: 名無しさん@おーぷん 2015/07/16(木)02:14:12 ID:iDl
>>18
この中学生も後に孤独感から自殺している[7]。



マジやんけ・・・知らなきゃよかった・・・

20: 名無しさん@おーぷん 2015/07/16(木)02:15:32 ID:C8i
この追い詰められるまでの状況 そして事故の瞬間

立ち往生となってから40分ほど経った、犠牲者の腕時計で確認されたところによれば午前2時11分、
64.3キロ地点で高さ100メートル、幅30メートルにわたる巨大な土砂崩れが発生した。
ダンプカーにして約250台分の土石流は急斜面を滑り落ち、五、六、七号車を直撃。七号車は1メートルほど横滑りしながらもガードレールに運良く抑えられたが、
五号車と六号車は赤いテールランプの光を引きながら、15メートル下の増水した飛騨川の水面にゆっくり転落していった。乗務員たちが大混乱になっているのを知らずに就寝している乗客も多かったが、
大音響と震動に各車内とも総立ちとなり、とくに大惨事を目の当たりにした七号車は騒然となった。生還した五号車の運転手は、転落の瞬間に車内の子供たちがあげた「アーッ」という叫び声が耳から離れないと証言している。
六号車の運転手は、連絡のために入っていた七号車から自車の最期を目撃し、同じく連絡のため五号車にいた三号車の運転手は消息を絶った。

21: 名無しさん@おーぷん 2015/07/16(木)02:17:45 ID:V2n
バスのやつよく見たら去年旅で通った道やんけ
案外近くで起こってるもんなんやな

38: 名無しさん@おーぷん 2015/07/16(木)03:46:36 ID:IgA
飛騨川バス転落事故は現地道路で初めて知ってその後ネットで調べたわ・・
天心白菊の塔ってのが地図に載ってて何だこれはと思ってそこで休憩したから

5: 名無しさん@おーぷん 2015/07/16(木)01:48:30 ID:nCm
心霊スポットスレから無限回廊に迷い込んだワイが通るで

11: 名無しさん@おーぷん 2015/07/16(木)01:58:33 ID:pDT
もうここまで来たらみんなのオススメ教えてクレメンス

12: 名無しさん@おーぷん 2015/07/16(木)02:00:11 ID:pDT
オカルト系の未解決事件とかならなおよし

13: 名無しさん@おーぷん 2015/07/16(木)02:01:22 ID:C8i
SOS遭難事件(エスオーエスそうなんじけん)とは、1989年7月24日に大雪山山系旭岳で確認された遭難事件である。

1989年7月24日午後、大雪山系で黒岳から旭岳に向かう途中に行方不明になった登山者を捜索していた北海道警察のヘリコプターが、登山ルートから外れた旭岳南方の忠別川源流部で、倒木を積み上げて造られたSOSという文字を発見。行方不明だった登山者はそこから2、3キロ北で無事救助されたが、SOSの文字については知らないと話した。別の遭難者がいたと見た北海道警察は、翌日改めてヘリコプターを派遣し、調査を進めた。その結果、動物により噛まれた痕のある人骨の破片とSOSと叫ぶ若い男の声が記録されたカセットテープレコーダーなどが収容された。最終的には、行方不明者のリストや遺留品から1984年頃に遭難した男性と特定されたが、一時、人骨は女性のものと判定され混乱を来した。なお、遭難者の友人によると、この男性は鉄道写真を趣味としていたことから、廃線跡を撮りに行って道に迷い遭難したと思われるとのこと。

https://ja.wikipedia.org/wiki/SOS%E9%81%AD%E9%9B%A3%E4%BA%8B%E4%BB%B6

これとか当事者としての絶望感は…

山は怖い(教訓)

14: 名無しさん@おーぷん 2015/07/16(木)02:06:16 ID:CMa
この間おんjで見たこれや
http://www.maroon.dti.ne.jp/knight999/osenkorogasi.htm

あと、名前が思い出せへんけど結構有名な事件で
日本の銀行か鉄道の偉い人が行方不明になった事件で
「(苗字)事件」みたいな名前の事件をwikiで読んで震えたで・・・

おせんころがし殺人事件(おせんころがしさつじんじけん)は、1952年(昭和27年)10月11日に、千葉県小湊町(後の天津小湊町、現鴨川市)[1]にある断崖、通称「おせんころがし」で起こった殺人事件である。母子3人が1人の男に強姦され、殺害された。また、この事件の同一犯人の起こした合計8人の連続殺人事件の通称でもある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/おせんころがし殺人事件

16: 名無しさん@おーぷん 2015/07/16(木)02:07:28 ID:f99
>>14
これかな?国鉄三大ミステリー事件

国鉄三大ミステリー事件(こくてつさんだいミステリーじけん)とは、連合国軍占領下の日本において1949年(昭和24年)の夏に相次いで発生した、日本国有鉄道にまつわる真相に謎が残る三つの事件のこと。

以下の三大事件のことをいう。 下山事件 1949年7月6日 常磐線北千住 - 綾瀬駅間 5日朝、国鉄総裁下山定則が出勤途中に失踪し、翌6日未明に轢死体となって発見された事件。
三鷹事件 1949年7月15日 中央本線三鷹駅 無人列車が暴走し脱線。死者6人、負傷者20人を出した。
松川事件 1949年8月17日 東北本線松川 - 金谷川駅間 故意にレールが外され列車が脱線した事件。死者3人を出した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/国鉄三大ミステリー事件

27: 名無しさん@おーぷん 2015/07/16(木)02:25:52 ID:CMa
>>16
サンガツ
下山事件や、おかげで思い出せたで、ありがとうやで

15: 名無しさん@おーぷん 2015/07/16(木)02:07:13 ID:z2W
怖くて眠れなくなるというか、読みすぎて眠れなくなることはあるやね

22: 名無しさん@おーぷん 2015/07/16(木)02:20:36 ID:C8i
連続鬼系はあくまで人の意思があって、津山もそうだけど
犯人側もあるから感情の中に僅かでも同情が入ってしまい、
当事者としての絶望感がどうしても薄れる…

犯人が単なる畜生(コンクリ)なら胸糞悪くなってこれまた絶望感とは違う
女子高生コンクリート詰め殺人事件(じょしこうせいコンクリートづめさつじんじけん)とは、1988年(昭和63年)11月から1989年(昭和64年)1月の間に、東京都足立区綾瀬で起きた猥褻誘拐・略取、監禁、強姦、暴行、殺人、死体遺棄事件の通称である。事件番号は平成2う1058。
この事件は、加害者が全て少年(未成年者)であったこと、犯罪内容が重大・悪質であったこと、犯行期間も長期におよび、少女が監禁されていることに気づいていた周囲の人間も被害者を救わなかったことなどの点で社会に大きな衝撃を与えた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/女子高生コンクリート詰め殺人事件

23: 名無しさん@おーぷん 2015/07/16(木)02:20:51 ID:C8i
>>22
連続殺人鬼

24: 名無しさん@おーぷん 2015/07/16(木)02:21:55 ID:V2n
絶望感で言うとやっぱり自然災害とか獣害なんかが強いな

25: 名無しさん@おーぷん 2015/07/16(木)02:23:19 ID:pDT
こういうの好き

フィラデルフィア計画(フィラデルフィアけいかく、Philadelphia Experiment)は、ペンシルベニア州フィラデルフィア沖合で行われたとされる、アメリカ海軍のステルス実験(正式名称『レインボー・プロジェクト』)。通常、都市伝説の一つである。

1943年10月28日、ペンシルベニア州フィラデルフィアの海上に浮かぶ「エルドリッジ」を使って、遂に大規模な実験が秘密裏に行われた。 当時は第二次世界大戦の真っ只中であり、実験は新しい秘密兵器「磁場発生装置テスラコイル」を使い、「レーダーに対して不可視化する」というものであった。
エルドリッジの船内には多くの電気実験機器が搭載されており、そのスイッチを入れると強力な磁場が発生し、駆逐艦がレーダーから認められなくなった。実験は成功したかのように見えたが、不可思議な現象が起こる。実験の開始と共に海面から緑色の光がわきだし、次第にエルドリッジを覆っていったのである。次の瞬間、艦は浮き上がり発光体は幾重にも艦を包み、見る見る姿はぼやけて完全に目の前から消えてしまった。 「実験開始直後に、駆逐艦はレーダーから姿を消す」、ここまでは実験参加者達の予定通りであった。しかし直後にエルドリッジは「レーダーから」どころか完全に姿を消してしまい、おまけに2,500km以上も離れたノーフォークにまで瞬間移動してしまっていたのである。それから数分後、またもや発光体に包まれ艦はもとの場所に瞬間移動した。
再び戻ってきたエルドリッジだが、驚くべきことに乗員は、次のような惨状に陥っていた。
体が突然燃え上がった
衣服だけが船体に焼き付けられた
甲板に体が溶け込んだ
発火した計器から火が移り、火だるまになった
突然凍り付いた(冷凍化)
半身だけ透明になった
壁の中に吸い込まれた
また、生き残った乗組員も精神に異常をきたし、エルドリッジの内部は、まさに地獄絵図の如くであった。唯一、影響を受けなかったのは、鉄の隔壁に守られた機械室にいた、一部のエンジニアたちだけだった。
こうして実験自体は成功したが、「行方不明・死亡16人、発狂者6人」という、取り返しのつかない結果になった。このことに恐れおののいた海軍上層部は、この極秘実験を隠蔽したといわれている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/フィラデルフィア計画

28: 名無しさん@おーぷん 2015/07/16(木)02:28:18 ID:C8i
むしろ清涼剤 とか国鉄戦後5大事故とかは、教訓になっているあたりに絶望しきれない

近鉄奈良線列車暴走追突事故(きんてつならせんれっしゃぼうそうついとつじこ)とは1948年(昭和23年)3月31日に近畿日本鉄道(近鉄)奈良線河内花園駅付近で発生した列車衝突事故である。
衝突が起こった地点から花園事故、また、事故の原因となったブレーキ故障が生駒トンネル内で発生(発覚)したことから生駒トンネルノーブレーキ事故とも呼ばれる。

近鉄奈良線の近畿日本奈良(現・近鉄奈良)発上本町(現・大阪上本町)行き急行電車[1]が、生駒トンネルを走行中にブレーキが効かなくなり、トンネル内からの下り坂を加速・暴走し、河内花園駅[2]を発車しかけた前方の上本町行き普通電車[3]に、70 - 80km/hで7時51分または52分頃に追突した。

衝突した側である急行電車の各車は木造車であったために衝撃で大破し、特に先頭車であったモ9は、車体が半分以上前後の車両に食い込んで原形を留めず[4][5]、2両目以下も相互の連結部分を中心に大きな破損が発生した。また、衝突された側の普通電車は鋼製車であったため大破は免れたが、それでもモ9と衝突したモ307は運転台部分が潰れ、さらにモ9の台枠以下が床下に潜り込んで車体が大きく持ち上がる[6]という、凄惨な被害状況を呈した。
この事故により乗客・乗員合わせて49名が死亡、282名が負傷した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/近鉄奈良線列車暴走追突事故

29: 名無しさん@おーぷん 2015/07/16(木)02:32:39 ID:V2n
>>28
生駒トンネル闇深そう

30: 名無しさん@おーぷん 2015/07/16(木)02:35:15 ID:C8i
>>29
彡(-)(-)今に繋がっているんや…

豊浜トンネル岩盤崩落事故

1996年2月10日午前8時10分頃、古平町側の坑口付近において岩盤(最大高さ70m・最大幅50m・最大厚さ13m・体積11,000m3・重さ27,000tと推計)が崩落。トンネル内を走行中だった北海道中央バスの積丹町余別発小樽駅前行き路線バス(乗客18名、運転手1名)と、後続の乗用車(1名乗車)の2台が直撃を受け、20名全員が死亡した。
トンネル内の事故現場は多数の瓦礫に塞がれ、内部に閉じ込められた車の様子が確認出来ず、さらに、巨大なまま上部に残留している岩盤を除去しない限りは再崩落の危険があり、内部に入ることができなかったため、岩盤を発破により海側へ滑らせて除去することとした。しかし、内部にいる人が生存している可能性も考慮し、岩盤除去に使用する爆薬の量が制限されたため、岩盤除去作業は難航した[1]。11日より14日にかけて、4回にわたる発破作業の末ようやく岩盤を除去することができた[2]。岩盤除去後に瓦礫は取り除かれたが、乗用車は原形をとどめておらず、また、バスは3mあった高さが1mにまで押し潰された有様であり、死因は全員とも圧死で、ほぼ即死状態であったと考えられる。
崩落に至った原因としては、付近の地下水が湧出している部分が厳冬期に凍結し、地下水圧の上昇を毎年繰り返すことで、岩盤の亀裂を徐々に成長させたためと見られている[3]。
1991年と1994年にも現場付近で小規模な崩落が起きており、安全対策を怠ったとして北海道開発局の元幹部2名が書類送検されたが、不起訴処分となっている。遺族の一部は責任を追及しようと、道路管理者である国を相手取り民事訴訟を起こしたが、判決では賠償金の支払いは命じたものの、責任については明確にされなかった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/豊浜トンネル#.E8.B1.8A.E6.B5.9C.E3.83.88.E3.83.B3.E3.83.8D.E3.83.AB.E5.B2.A9.E7.9B.A4.E5.B4.A9.E8.90.BD.E4.BA.8B.E6.95.85

31: 名無しさん@おーぷん 2015/07/16(木)02:35:45 ID:nCm
炭鉱事故も壮絶なの多いよな

1981年(昭和56年)10月16日午前0時ごろ、海面下810メートル、坑口より約3000メートルの北部区域北五盤下坑道のメタンガスセンサーに異常値が出ていることを地上の制御室が確認。ガスの突出事故の発生を確認し、直ちに会社側が組織した救護隊が救出作業を開始した。77人は自力で脱出することができたが、救護隊により34名は遺体で収容、ほか10名を坑内で死亡確認している。しかし、同日午後10時30分頃にガス爆発による坑内火災が発生、救護隊の10名も巻き込まれる二次災害となった。作業服の持つ静電気が原因で充満したガスに引火したと推測されている。
爆発後は坑内に大量の黒煙と熱が充満し、火災も収まる兆しが見えなかったことから密閉作業が行われた。密閉作業は坑口を塞ぐもので、坑内の避難器具(通称ビニールハウス)への空気供給を止めるものではなかったが、それでも火災が収まらなかったことから、会社側は注水による鎮火の検討に入った。この時点で坑内には59名の安否不明者が取り残されており、注水は坑内にいるこれらの不明者を見殺しにする措置のため、安否不明者の家族の猛反発を受けた。中には林千明社長(当時)に「お前が入れ」と迫る人もいた。
注水の是非を巡る議論が白熱する中、生存者の有無を確認するために捜索隊が坑内に入る。だが、爆発の衝撃で坑道の至る所で落盤が発生しており、救出活動を続行することは危険と判断された(捜索中、立ったまま死亡していた労働者の遺体も確認された)。
林社長ら幹部は「お命を頂戴したい」と家族に注水への同意を求め(林社長はその後自殺未遂を図った)、10月22日までに家族全員の同意書を取り付け、翌10月23日、サイレンと共に59名の安否不明者がいる坑内に夕張川の水が注水された。約4か月の注水作業、その後の排水作業により遺体の収容作業が再開されたものの、遺体収容・確認作業は難航を極め、最後に残っていた遺体が収容されたのは事故から163日後の1982年(昭和57年)3月28日のことであった。最終的な死者数は93人に上った。
https://ja.wikipedia.org/wiki/北炭夕張新炭鉱ガス突出事故

32: 名無しさん@おーぷん 2015/07/16(木)02:38:48 ID:C8i
高熱隧道は読み物として面白かったけど絶望感もまた…

あとはプt
『高熱隧道』(こうねつずいどう)は、吉村昭の長編小説。1967年(昭和42年)に新潮社から刊行された。
日本電力黒部川第三発電所(現関西電力に移管)水路トンネル、欅平駅〜軌道トンネル(現関西電力黒部専用鉄道)の工事現場や人間関係について、建設会社の現場土木技師の目を通じて描いた作品である。同発電所は1936年着工、1940年工事完了である。
「日本電力」は実在の会社。「佐川組」はゼネコンの佐藤工業をモデルとしている。 なお、各々の登場人物は架空の人物である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E7%86%B1%E9%9A%A7%E9%81%93

33: 名無しさん@おーぷん 2015/07/16(木)02:43:35 ID:V2n
不意打ちで写真付きの記事やめて欲しいンゴ・・・

34: 名無しさん@おーぷん 2015/07/16(木)02:44:31 ID:C8i
反省します…ちなみにプチエンジェル事件ね

プチエンジェル事件(プチエンジェルじけん)とは、2003年7月に東京都赤坂にあるウィークリーマンション一室で起きた、小学6年生の少女4人が誘拐・監禁された事件。なお、プチエンジェルとは犯人が経営していた児童買春デートクラブの名称ないし会社名である[1]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%81%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6

35: 名無しさん@おーぷん 2015/07/16(木)02:45:08 ID:UR7
ワイも事故で死んだときのこと思い出すと今でも眠れないンゴ

36: 名無しさん@おーぷん 2015/07/16(木)02:47:47 ID:V2n
>>35
早く成仏してくれ

37: 名無しさん@おーぷん 2015/07/16(木)02:50:59 ID:C8i
今、曲を絶やす事ができない…

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引用元: http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1436978557/