西ローマ帝国の滅亡をもって中世とする区分もあるがそうとも言える
とりあえずこのスレは神聖ローマ帝国の誕生あたりからがだいたい中世で
ローマ帝国の東西分裂以降は古代末期として考えるってことで

【事前予約】やりこみ要素抜群のタウン作成ゲーム
ローマ帝国弱体化して四世紀末東西に分裂、キリスト教が広まる
↓
フン族に攻撃されてゲルマン民族の一派ゴート族が動き出したのを皮切りに次々にゲルマン人がローマ領内へ侵入
↓
旧ローマ領各地にゲルマン人による王国ができる。ゲルマン人が文明化されはじめる
↓
気がついたら西ローマ帝国滅亡
↓
他のゲルマン人王国も滅んでいく中でフランク王国が強大になる
↓
九世紀初頭フランク王国のカール大帝のあとヨーロッパ各国の枠組みが出来始めヨーロッパは本格的な中世世界へ
一言で言えばゲルマン人世界とローマ人世界がミックスされた結果なんか新しい時代が誕生(するような気が)したのがこの時代
中東はササン朝ペルシアが覇権国家だったけど後半になるとイスラームが爆誕して大変
中国は普から五胡十六国時代のカオスの時代だっけ
印欧語族という言葉がある
これは「インドで昔使われてたサンスクリットって言葉とヨーロッパのほとんどの言語は親戚じゃん!」と近代の学者に発見された概念
つまりもともと一つの言葉(印欧祖語)を話していた民族がどこかにいてインドとヨーロッパに分かれたということなんだけど
そのヨーロッパに行ったグループの中でもさらに幾つかの集団に分けることができる
ゲルマン語派―英語、ドイツ語、オランダ語、フィンランドを除く北欧各国語
スラヴ語派―ロシア語、ポーランド語、チェコ語、バルカン半島の諸語等
ロマンス語派(ローマ系、つまりラテン語の子孫)―イタリア語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、ルーマニア語
バルト語派―リトアニア語、ラトビア語
ケルト語派―ゲール語、ブルトン語等
ヘレニック語派―ギリシャ語
アルバニア語派―アルバニア語
これが現在の印欧語系の言語を使う国の分布

ハンガリー語、エストニア語、フィンランド語、バスク語、サーミ語などもヨーロッパで使われている言語だけど印欧語族ではない
この中のゲルマン語派の言語を話していた人たちがこのスレで言うゲルマン民族・ゲルマン人というわけ
それがローマ人が地中海沿岸地域を中心に巨大な帝国を築く頃になると
ゲルマン人も生息域を拡大して今のドイツ一帯に広まっていた
緑がゲルマン人の地ゲルマニアと呼ばれるようになった地域
この地図には乗ってないけど北欧もゲルマン系の民族が住んでる

このあと何回か出てくるローマの主要な属州の名前もカナで書いといたんで参照してくれ
紀元9年にローマの将軍ウァルスがゲルマニアを征服しようと信頼する部下のゲルマン人アルミニウスの手引で敵地奥深くまで進軍したが
アルミニウスはその裏で密かにローマと戦うためにゲルマンの諸部族を糾合して同盟軍を作り上げウァルスの軍団を待ち伏せしていた
そして「トイトブルクの森」と呼ばれる場所で奇襲を受けたローマ軍の三軍団二万人超は三日間に及ぶ激闘のすえ全滅する
ゲルマン人の英雄アルミニウス。現代のドイツ語ではヘルマンという名前になり一種の民族的英雄になっている

この敗戦以降ローマ帝国はゲルマニア全土の征服を諦め、ローマ世界とゲルマン世界の境界線ができあがった
身体的特徴で言えば黒髪が普通ののローマ人に対してゲルマン人は金髪碧眼で身長も高い
文明で言えばローマ人は城壁に囲まれた都市を作ってその周りの農地と海を支配する民族だとするとゲルマン人は森の民族
ゲルマン人の社会は貴族・自由人・奴隷からなり有力貴族から首長や王なども登場し始めていたが
絶対的な権力はなく重要事項は民会という貴族と自由人の会議で決定される
ゲルマン人の主要な生業は牧畜で農業はかなり未熟な段階で補助的なものに過ぎなかった
農耕に頼らない暮らしをしていたからこそ、この時代に家族と財産を伴ってヨーロッパを大移動できたということでもある
ゲルマン人にはもともと固有の多神教を信仰していて
それは数百年後の北欧でオーディンやトールという名で記録されることになる神々だった
一方この時代のローマ帝国ではキリスト教が台頭しつつあり、皇帝コンスタンティヌスがミラノ勅令(313年)でキリスト教を公認してからその勢力は伸びる一方だったが
同時に教義をめぐっていろいろな宗派で論争もあってキリスト教徒も一枚岩でなかった
その上旧来のローマの多神教の信仰も根強く生き残っていて、さらにプラトン哲学を宗教的に発展させた新プラトン主義やさまざまな宗教の教義を取り入れたマニ教…etcもあってこの時代は宗教事情も混沌としていた
すでに全盛期とは違ってローマはその長大な国境線を守り切ることが困難になっていた
少しでも領土を守りやすくするために国境線の奥に軍団を配備し複数の皇帝で領土を分割して統治する慣習ができた
293年からの「テトラルキア」と呼ばれる分割統治体制の変遷図
しかも内乱の最中ローマの傭兵として使われることが多かったのは野蛮人と馬鹿にされていたゲルマン人で
以降ローマ軍の指揮官の中にもゲルマンの血を引く人物が多くなる
同じフランク王国でもメロヴィング朝時代は古代に片足突っ込んでるけどカロリング朝時代になると完全に中世って感じかな
伝承によればもともとスウェーデン南部(黄緑)に住んでいたというが真偽はよくわからない
とりあえずバルト海南岸(赤)にいたことがあるのは確実で豊かな土地を求めてローマ帝国の衰退期には
黒海北岸(オレンジ)の草原地帯に到達しそこで独自の国を築いていた

ゴート族の国家はいくつかに分かれて統合と分裂を繰り返していたようだが、
有力だったのは西ゴート王国と東ゴート王国の二つだった
彼らは三世紀のローマの内乱時にローマ領を攻撃して荒らしまわったが
その時は帝国を揺るがす程の被害にはならなかった
このゴート族が民族大移動時代の主役と言ってもいい働きを演じる
ウルフィラはキリスト教徒として育ち、ゴート語とギリシャ語の両方を操り東ローマと関わりを持つうちにゴート族への伝導を託されるようになる
彼はわざわざ自分たちの言語で書き表すのために文字まで考え出して
ギリシャ語の新約聖書をゴート語に翻訳してゴート族の間に広めた
ウルフィラの翻訳したゴート語聖書

ただウルフィラはキリスト教の中でも325年のニカイア公会議で正統の宗派とされ今のカトリック教会にも繋がる「アタナシウス派」ではなくて
「アリウス派」という異端の司祭だったことが後々にゴート族がローマ領へ入りこんだ際に尾を引くことになる
ゴート族の文化とゴシック様式は直接関係はないのにね
ゴートという言葉が「蛮族」の代名詞になるほどゴート族が与えたインパクトは大きかったってことだね
正体不明のフン族とそのフン族に攻撃されて追われたアラン族という騎馬民族の集団がやってくる
当時の東ゴート王国はエルマナリックというかつてなく強力な王(伝承によれば100歳以上!)の元で繁栄していたが騎馬民族の侵入の前にはまるで歯が立たなかった
絶望したエルマナリックは自殺し、ある者は殺されある者は西ゴート王国へと逃げ出した残った東ゴート族は以降半世紀以上フン族に隷従して生きることになる
当時の東のローマ皇帝ウァレンスはゴート人を農地開拓に当たらせたり兵士として利用するつもりでそれを認めた
ところが実際にローマ帝国領に入ってきた西ゴート族は予定の量よりもずっと多かったのである
当然食料も不足気味でローマの役人はそれに付け込んで犬の肉を高値で売りつけて搾取したりしていたので西ゴート族はブチ切れて各地を略奪し始めた
東のローマ皇帝ウァレンスは敵をあなどって援軍の到着を待たずに自ら出陣する
そして378年「アドリアーノプルの戦い」で西ゴート族の大群と衝突するが惨敗
負傷して近くの民家に担ぎ込まれたウァレンスはその家ごと焼き殺された
ゴート族は本職の騎馬民族にはかなわなかったとはいえ黒海北岸の平原地帯で暮らすうちに重装備の騎兵の運用法を身につけていて
それが歩兵主体のローマ軍を破る決定打となったのである
そして事態を収集するためにテオドシウスという将軍を東の皇帝に任命して送り込んだ
テオドシウスは西ゴート族に正面から立ち向かうことをさけ「ローマ帝国の同盟部族」として懐柔することに成功する
これは西ゴート族を彼らの部族組織を保ったままでローマ領内に定住させるという危険な方策だったがこれで一旦ゴート問題は安定した
その後に立った西の皇帝ウァレンティアヌス二世も反乱者のエウゲニウスにそれぞれ倒されるという
もはや恒例となった感のあるゴタゴタが起こると
テオドシウスは二度にわたって帝位簒奪者を破り最終的に東西の帝国を再統一するわけだが
その際には西ゴート族の軍も従軍して東ローマ軍と肩を並べて戦った
この時代の西ゴート族に王として選ばれたのがアラリック

最後の統一ローマ皇帝テオドシウス
彼の時代にローマ帝国ではキリスト教以外の宗教が公的に禁止された

少数派でしかないゴート族は文明は軟弱化の元と軍務に専念してたから
行政、文化を担ってたのは相変わらずローマ人
そうすると東ゴート王国時代のことがメインと思えばいいのかな
やっぱりルネサンス時代に言われるようになっただけあってイタリア視点が中心にある言葉なのね
テオドシウスの死の時点での東西ローマ帝国と諸蛮族

しかも彼の二人の息子はいずれも若年なうえ成長しても無能かつ政治的に無気力で
ここから皇帝が戦場に立つことはほとんどなくなっていく
この時代の帝国の実権は摂政が握るようになっていった
東の皇帝アルカディウス 即位時18歳

西の皇帝ホノリウス 即位時11歳

カリオストロだっけ?
それはgoat
ゴート族は英語だとGothって書く
彼に率いられた西ゴート族はバルカン半島一帯を荒らし始めギリシャの諸都市まで略奪の被害にあった
東ローマはこれ領土を荒らされたくないので西ローマとの国境にあるイリュリクムの軍司令官にアラリックを任命する
厄介者を体よく追い払ったわけだが要はこれ「うちじゃなくて西ローマを略奪してよ」と言っているようなものである
イリュリクム

東ローマ帝国は勝てそうにもないのでフン族にはお金を払って平和を買っていた
東ローマの優位性はシリアやエジプトを領有していることによる圧倒的な経済力で、西ローマはこの豊かさを持たなかった
これが東西の帝国が別の運命をたどった究極的な原因といえるかもしれない
彼はテオドシウスの右腕で有能な軍人で皇帝ホノリウスの義父というエリートだったが、
父親はヴァンダル族というゲルマン人の出自であるがゆえにローマ内に敵も多かった
一説によれば東ローマ政府はスティリコがこれ以上権力を拡大して
東ローマ政府までがスティリコに乗っ取られることを警戒してアラリックを差し向けたとも言われている
スティリコと家族

スティリコはアラリックを二度にわたって散々に打ち破りその家族まで捕虜にしたが
アラリックはくじけず再起の機会を伺っていた
さらにアラリック侵入に便乗して他のゲルマン部族をごたまぜにした東ゴート族のラダガイススという人物が攻撃してくるがこれも全滅させる
しかし北ではローマと同盟していたフランク族がガリア防衛を期待されていて
一度はヴァンダル族の王を戦死させる程の戦果を挙げたものの
結局はヴァンダルに加えアラン人やスエビ人らの大群に押されてローマ領への侵入・略奪を許してしまっていた
お前らが衒学してくれた方がスレは伸びるんだがな
インドは印欧語族とは関係ないドラヴィダ語族も存在してるし混血しまくってるだろうからなー
七人の侍ののぶせりみたいなもんかね
そんな感じかなぁ
やることは時代や地域か変わってもあんまり差がなさそう
しかしこれが蛮族の血を引くスティリコは結局他の蛮族にも甘くアラリックと内通して反乱を起こそうとしているのではないかという疑念を生んだ
しかもゲルマン人ハーフであるスティリコには政治的な敵も多かった
そして408年、西ローマ皇帝ホノリウスは側近の讒言に流されてそれまで大活躍してきたスティリコを処刑してしまう
これに激おこした一部のゲルマン系の軍団兵は脱走して本当にアラリックの軍団に加わってしまう
ローマはアラリックの指示によってキリスト教教会を除き三日間徹底的に略奪された
この時ホノリウスの妹のガッラ・プラキディアも西ゴート軍の捕虜となる
ちなみにホノリウスはラヴェンナという鉄壁の都市に引きこもっていて何の対応も講じなかった
(ローマは既に西ローマ帝国の首都じゃなくなっていた)
もうとっくに首都じゃなくなっていたとはいえ巨大都市ローマが数百年ぶりに「蛮族」の手に落ちたことは衝撃で
ローマが略奪されたのは先祖伝来の神々を捨ててキリストを拝んだからだとか
逆にローマ市民がキリストを信じなかったからだとかいう論争も起きた
たとえば、言語的には同じケルト系であるはずのガリア人とブリタンニア人の間にも遺伝的な相違が存在してて
かつて中部ヨーロッパを席巻したケルト人というのは人口増加よりは文化伝播により発生した「文化集団」である可能性が指摘されてる
ヨーロッパ先住民の殆どは印欧系移住に同化されたけど
バスク人などは辛うじて生き残った非印欧系言語集団というわけ
まあそもそも民族を決めるのは窮極的には「自分たちの意識」だし
言語系統が違えば見た目とか文化風習とかも異なるはずって決めつけ過ぎない方がいいやね
たとえばドイツ語は思いっきりゲルマン系だけど金髪碧眼のゲルマン民族なんてドイツでも多数派ではないんだし
そういう人たちが多い国といえば北欧まで行かにゃらならん
西方の属州の中でもっとも豊かだというアフリカに渡る計画を立てていたが前からかかっていた流行病でまもなく病没した
天罰だーと騒がれたのは言うまでもない
アラリックの後に王に推戴されたのは義弟のアタウルフである
彼はアフリカ行きを取りやめガリア南部にルートを変えた
捕虜にした皇帝テオドシウスの娘ガッラ・プラキディアと結婚したあげくしかもこんな面白いことをいっている
「最初私はローマ帝国を征服してゴート帝国に作り変えてやろうと思っていた。
だがローマ人の法で統治された世界とゴート人の野蛮さを見て考えを変えた。私は今やローマの破壊者ではなく再建者として後世に知られることを望む(要約)」
アタウルフの像

ゴート風が厨二でゲルマンも厨二ってことはBANZOKU=厨二やな
しかしゴート人を一蹴したフン族も裸足で逃げ出すほど恐ろしいBANZOKUの中のBANZOKUモンゴル人は厨二に人気が無い
蛮族なんて厨ニの極み
これからもどんどん出てくる蛮族の王様の名前見てればわかる
ロシア好き辺りには人気あるんじゃねえの
厳密には日本人が思い浮かべるようなモンゴル人じゃなくて
テュルク化が進んだタメルランとかカザン=ハン国あたりだろうけど
皇帝ホノリウスと和解しかつてのようにローマの同盟部族として西ゴート族を認めさせようとしたものの
アタウルフがガッラ・プラキディアの引き渡しを拒んだため和睦は成立しなかった
しかもガッラ・プラキディアとの間に生まれて母方の祖父の名にあやかってテオドシウスと名付けられた息子は生後数日で死んだ
アタウルフ自身も415年に暗殺されて次の王となった弟のワリアがガッラ・プラキディアを送り返すことで西ゴート族はようやくローマと和解する
息子暗殺されてそうだな・・・
幼児死亡率高かったしそこはわからん
でもアタウルフは自分や息子がいつかローマ帝国の権力を握ることを夢見てそんな名前をつけたんだろうなと思う
ガッラ・プラキディアと後に皇帝となる息子ウァレンティニアヌス三世
さらにフン族に西ローマ帝国を委ねようとした娘のホノリア

さてスティリコがガリアから軍を引き抜いたことでローマ領に入り込めたスエビ、ヴァンダル、アランの諸民族はそのままローマ領奥地へ突き進み
この頃にはヒスパニア(元スペイン・ポルトガル)の西端まで到達してローマ領を不法占拠していた
そしてワリアの西ゴート族は「ローマ皇帝からの依頼で」正式にヒスパニアの蛮族を討伐する権利を得る
濃い赤が西ゴート
黄色がヴァンダル(アンダルシアという地名の語源と言われる)
茶がアラン
緑がスエビ

アラン人はペルシア系の遊牧民で、スエビ人はゲルマン系といわれているがケルト系という説もあるしいろんな民族の混成集団という説もある
「ゲルマン民族」大移動というが実際にはゲルマン人以外も大移動していた
アヴァール(西へ逃れた柔然?)とかね
ゲルマン民族民族大移動が一息ついたと思ったらアヴァール人がヨーロッパであばれる
その次は北欧のゲルマン人ヴァイキングってところか
西ゴートの快進撃に驚いた西ローマ政府はヒスパニアからワリアを呼び戻しガリアの一部の領有を正式に認めた
ここにローマ帝国の領域内にローマ皇帝の宗主権を認めながらも独自の王をいただく蛮族の王国が誕生したのである
特に被害の大きかったアラン人はヴァンダル人と合流し、ヴァンダル人は海を渡ってローマ領アフリカを占拠して王国を立てる
これがヴァンダル王国
ワリアの侵入がきっかけとなって西ゴート王国はヒスパニアでの影響力を拡大し、のちの西ローマ帝国の混乱期に乗じてその大部分を自らの領土としていく
残ったスエビ王国も後に西ゴート王国に併合される
西ゴート王国のヒスパニアでの拡大

イスパニアの蛮族を討伐するという名目でアラン、ヴァンダル、スエビの諸族を攻撃したことは>>58ですでに書いた
この後追い詰められたヴァンダル族とスエビ族は互いに争うようになり、
形勢不利になったヴァンダル族は徐々に海上に活路を見出していく
ヴァンダル族はゲルマンの蛮族としては例外的に独自に海軍を編成しはじめた
そして428年ガイセリックという長命で英雄的な業績を残す王が即位する
ガイセリックの肖像の残る貨幣

あのガッラ・プラキディアの息子のウァレンティニアヌス三世が西ローマ皇帝に即位する
しかしライバルたちとの権力闘争のあと実権を握ったのは優秀な将軍のアエティウスだった
アエティウス

のちにフン族の王となるアッティラとも面識があったらしい
そんなアエティウスの方針は「フン族やゲルマンの蛮族を互いに戦わせてその間で西ローマが主導権を握り存続を図る」というものだった
ガリア南東で勢力を拡大したブルグント王国が脅威になると437年にはフン族を呼び込んでブルグント国王グンタハールを戦死させ、
その後勢力を削がれたブルグント族に再び土地を与えて懐柔している
もはや西ローマ帝国は綱渡りのような方法でしか存続できなくなりつつあった
その身体的特徴(浅黒い肌、低い身長、細い眼など)からアジア系の騎馬民族ということだけはわかる
中国の歴史書に「匈奴」として記録された民族の末裔だという説もあるが確かなことはわからない
とりあえずフン族はその弓騎兵の機動力ゆえに軍事面で他のゲルマン民族に対して圧倒的優位に立っていて
多くのゲルマン民族はフン族に従属させられその勢力は雪だるま式に膨れ上がりっていった
一方でローマ内のゲルマン人と同じようにフン族の中にもローマ領で兵士として雇われている者もいたようだ
そんな中で450年頃フン族の王として登場したアッティラの下でその勢力は絶頂を迎える
アッティラ

アッティラのフン帝国
星はアッティラの宮殿のあった場所

アッティラは次の獲物を探していたわけだが、それを呼び込んだのが西ローマ皇帝ウァレンティニアヌスの姉ホノリアだった
ホノリアは自分の運命が弟に握られ結婚も許されないのを不服として、密かにフン族の宮廷へ使者を送りアッティラに婚姻を申し込んだのである
この事件が露見すると当然皇帝は驚いて姉を軟禁したが、アッティラはこれを口実として持参金として西ローマ帝国の半分とホノリアとの結婚を要求してガリアへ攻め入った
住民に傭兵として雇われたアラン族に強固に守られたオルレアンを落とすのに手間取っているうちにアエティウスに時間を与えてしまった
ローマ軍だけの力ではアッティラに勝てないと見たアエティウスは
西ゴート王国を始めブルグント族やフランク族、サクソン族などフン人に反抗的な周辺のゲルマン部族と同盟を結び軍を集める
アエティウスの連合軍が迫るのを見て退却しようとしたアッティラは
今の北仏のシャロン近郊で捕捉されこうして451年この時代の最大の戦闘カタラウヌムの戦いが起きる

ローマ領に侵入してからの経過は記録が残ってるからだいたいほんと
それ以前はゲルマン人は歴史書を書かなったので怪しいってとこだと思われる
ホノリアの結婚がどうのこうの、ってのもホント?
いきなり蛮族に結婚申し込むかね・・・
使者が捕まって発覚したからほんとだと思う
ホノリアの結婚相手が権力を握ることを警戒してずっと未婚にさせておいたのね
そしたらホノリアは従者の男とできちゃって皇帝は激おこ、相手の男を殺した上で姉を修道院に幽閉
そしてそこからホノリアは変な気を起こして…って感じだったみたい
ブリタンニアに限っては「怪しい」ってレベルだと言えそう
この島では他の地域と違って文明力の高い被征服者と軍事的に優位なだけの征服者という関係が成立しなかった
いわばブリトン人とゲルマン人は対等の関係に近い
だからここらへんの事情はほとんど後世の歴史書によって知られるだけでリアルタイムの情報は少ない
だが死んだのは自軍を鼓舞するうちに落馬して踏み潰された西ゴート王テオドリック一世でアエティウスは生き残った
テオドリック一世はあのアラリックの息子で、ローマを略奪した男の息子がローマ帝国のための戦いで死んだことになる
西ゴート軍は王を失いながらも王子トリスムンドの指揮のもとで奮戦し、アッティラを陣地の中に追い詰める
カタラウヌムの戦い

混戦の末陣地に立てこもったフン族をトリスムンドが追撃しようとしたが
アエティウスはこの戦いの結果西ゴート族が強大になりすぎるのを警戒していた
そして「他のものに王位を奪われないうちに国に帰るべきだ」とトリスムンドを説いて帰還させた
カタラウヌムの翌年452年には態勢を整えて今度はイタリアへ攻め込んだ
そして北イタリアの諸都市を制圧し、ローマ市にも攻め込もうかという時になって突然ローマ司教(教皇)のレオ一世がアッティラの元を訪れる
と思ってスレ開いたら、またお前か!
いいぞ、古代ヨーロッパをもっとやるんだ!
この時代はめちゃくちゃ面白い割に知名度低いから布教したい
がんばる
レオ一世がどうやってアッティラを説得したのかという疑問はさまざまな伝説を生んだが
どうやらフン軍の間に疫病が流行っていたのと東ローマ軍が出動して背後から攻撃をかけるような動きがあったから撤退に踏み切ったというのが真相らしい
レオ一世とアッティラの会見(ラファエロ画)

いずれにせよアッティラはイタリア戦役でもめぼしい成果を出せず帰還後の453年
ヒルディコという何人目かの妻との婚礼の翌朝鼻から大量に血を流して死んでいるのが発見された
フン族の脅威は消えて支配下だった東ゴート族を始めゲルマン人たちが独立を果した
皮肉な話だがアッティラが生きている間だけフン帝国が強力にまとまっていたために、アッティラは蛮族の権化のようにゲルマン人たちの間で伝説的に語られることになった
ギボンのローマ帝国衰亡史だと、この辺のフン帝国全盛から崩壊までが一番面白いんで
一度読んだことがある人間なら好きになると思うけどね
ギボンは西ローマ滅亡あたりの巻だけ読んだわww
面白かったから他の巻も読もうと思う
そしてその翌年閲兵中にウァレンティニアヌス三世自身もアエティウスの部下だった二人の兵士に殺される
並み居る兵士の誰もウァレンティニアヌスの殺害を制止しようとしなかったという
ここから西ローマ帝国では政局の混乱が続き決定的に凋落し始める
古代ギリシアの時代には海の民とかいうのもいれば、今イッチが話してる時代からは、
ゴタゴタで書物の大半が紛失したからって理由でイスラム教圏に留学生を送るようになるしね
四方八方からいろんなお客さんがきた結果今のヨーロッパになってるんだよな
古代と中世の狭間というか曖昧すぎて人気ないよね
授業でもゴート人が移動しましたくらいしかやらねーし突然オドアケルが出てきて西ローマ終わるし
封建制って言っても絶対王政ほど強烈なものじゃないしなぁ
しかも今以上に国家の枠組みが緩やかだから普通に他国の有能な連中を重役に就けるしね
中世では国よりも個人間の人的結合が重要なのだー
都市国家って形から離れられていない感
何百年もかけてヨーロッパに現れたんだとしたらすごい
455年イタリアの混乱を見たヴァンダル国王ガイセリックが艦隊を編成してローマを海路から襲撃してくる
皇帝マクシムスは真っ先にローマからの逃亡を図り、その行動にブチ切れた民衆の投石を受けて死亡してしまう
全く役に立たなかった皇帝に代わってこの時もローマ司教レオ一世がヴァンダル族と交渉におもむき
抵抗しない者の命は取らない、建物への放火はしないなどの約束をさせたうえでヴァンダル族にローマを明け渡した
もはや民衆にとって頼りになるのは教会>>政府の時代になり始めていた
略奪は13日間も続き多くの人員や財産がローマから失われたという
455年のヴァンダル族によるローマ略奪

中世といえば封建制とか騎士とこを思い浮かべるけどこの時代はまだそんなもんと全然縁がないんだよな
実際は、政敵のボニファティウス倒すためにヴァンダル族けしかけて、結果的にアフリカ失陥してたり
一癖も二癖もありすぎて、皇帝から猜疑食らってもしゃーない人であったりする
アエティウスはなんかすごいくせ者って感じがする…
仮にアエティウスの方法で帝国が守れたとしても
それは蛮族との太いコネを持ちしかも外交手腕にも長けたアエティウス個人にしかできない方法だしね
イタリア本国では蛮族出身の将軍リキメルが権力を握りアウィストゥスのを退けてマヨリアヌスという貴族を皇帝に即位させた
リキメルの操り人形として即位したはずのマヨリアヌスは精力的に活動し、
ヴァンダル王国からアフリカを奪還する計画も立てるがガイセリックに敗れて頓挫する
敗北したマヨリアヌスを暗殺したリキメルはその後セウェルス、
さらに東ローマから派遣された皇族アンテミウスという傀儡皇帝の元で権力を振るった
西ローマ帝国はもはやイタリア以外の地域では全く権力を喪失した単なる地方政権になり下がっていた
これがあの輝かしいローマの痛々しい末路か
マヨリアヌス→最後の有能な西ローマ皇帝。
西ローマ衰退期の初代キングメーカー・リキメルに擁立されたのが運の尽き
セウェルス→完全にリキメルの傀儡
アンテミウス→東ローマの支援を受けて、リキメルを圧迫。最終的にリキメルと内戦勃発して戦死
オリブリウス→ヴァンダルの支援を背景にリキメルに擁立される。疫病でリキメルごと病死
ここらへんは正直マヨリアヌスだけ覚えてればいいかなって感じがするくらいの混沌
東ローマ帝国は西ローマの皇帝としてネポスという人物を派遣した
しかし例によって西ローマの蛮族出身の将軍オレステスという人物がネポスを追放して権力が移る
このオレステスはなんとフン族の宮廷アッティラの腹心として使えていた人物で
詳しいことはわからないものの主人の死後西ローマ帝国でも活躍し出世したらしい
出自についてもフン族の血を引くともゲルマン系の蛮族とも言われている
しかしオレステスは476年配下の蛮族の傭兵たちの反乱で斃され、
その頭目として王に立てられたのが教科書にも西ローマ帝国を滅ぼした人物として載っている有名人オドアケルである
宮廷を押さえたオドアケルが最初にやったことは最後の皇帝ロムルスを廃位して年金を与えた上で田舎に隠遁させ
皇帝の標章をコンスタンティノープルに東ローマ帝国に返却することだった
オドアケルに帝冠を渡す皇帝ロムルス

ちなみオレステスに追放されたネポスは480年まで生きていたのでこの年をもって西ローマ帝国の滅亡とする説もある
まあ、アフリカ失陥してからの西ローマは凋落の一途を辿っていたので
謀略の限りを尽くしてようやく権威を維持してたってのもあるからしゃーないけどね
ちなみに、リキメルは後の経緯から、ブルグント族の支援を背景に強気に統治してた節がある
西ゴート、ヴァンダル、ブルグント、東ローマの抗争こそ、西ローマ衰退期の醍醐味よ
なるほど
今度はそういう視点で本読んでみよう
オドアケルは旧来の西ローマ帝国の統治機構を何も改変せずそのまま受け継いだ
さらに蛮族の一派ルギィ族を撃退してイタリアの安全を守り、
ヴァンダル王国とは和解して食料供給を確保するなどそれまでの皇帝に比べれば遥かに優秀な支配者だった
形式上は以降10年以上イタリアは東ローマ帝国の宗主権の元でオドアケルが統治することになったのである
長男エラクがアッティラの後を継いだが、支配下のゲルマン部族は一斉に蜂起した
たった一度の戦いでエラクは戦死、フン帝国は首都を置くハンガリーを失って東方に後退した
これがアッティラの死からわずか二年後のできごと
東ゴート族もこの時にフン族と戦って独立を回復している
その頃の東ゴート族の王族として生まれたのが「大王」と呼ばれるテオドリック、
中世の伝説ではディートリッヒ・フォン・ベルンとして語られる人物である
テオドリックの肖像が残る唯一の貨幣

後世に中世的騎士として理想化されたディートリッヒ・フォン・ベルン

後にブルグンド王国全盛期を作るグンドバッド王(このときは王子)
父王の死でグンドバッドがブルグンドに帰還した結果、オレステスのクーデターが勃発する
が、オレステスは権力の裏付けが配下のゲルマン傭兵たちだけだったので
傭兵の頭目オドアケルに簡単にクーデターされて敗れる
権力は無常やね
そこらへんは煩雑になりすぎるかと思ってすっ飛ばしちゃったw
ブルグントの王様の名前はみんな似てて面白いと思う
間違えた。グンドバッドが擁立したのはゲリュケリウスだった
グンドバッドが帰還して、東ローマが介入して即位したのがユリウス・ネポス
東ローマを背景にしてたので人気がなかったネポスをクーデターしたのがオレステス
とんだ大嘘つくところだたぜ
古代ヨーロッパのゴタゴタがある時代の今の日本に住んでた先住民はゴート族以上の蛮族だったからなぁ。
このローマ人の中で育てられたという経験がのちの彼の統治者としての姿勢に大きく影響してくる
テオドリックが王に選ばれたのは474年、当時の東ローマ国境地帯はフン族の残党や
独立したゲルマン諸族の襲撃でごった返した混沌状態で東ゴートもいくつかの集団に分裂していた
そんな中で東ローマ皇帝は東ゴート族を懐柔し味方につけて他の蛮族と戦わせるという政策をとっていて、
テオドリックも10年以上も部族を率いてバルカン半島を転戦していた
東ローマの政争に巻き込まれて東ゴート族同士で戦わされることもあり
陰謀渦巻く東ローマ帝国内で安住の地を得ることは難しいと思ったらしい
488年東ローマ皇帝ゼノンとイタリアのオドアケルの関係が悪化したのを機に、
テオドリックはゼノンからイタリア侵攻の許可を得て配下の10万人と言われる東ゴート族を引き連れて出発する
生き延びるために全能力を傾けた凡人皇帝って評されてたのが的確
当人もイサウリア人の傭兵隊長出身で、要するに蛮族の東ローマ皇帝という超異色の皇帝
そう考えるとゼノンって面白いやつだな
一進一退の攻防を繰り返したあと最終的にオドアケルを倒すまで五年もかかっている
しかも追い詰められたオドアケルが籠城した首都ラヴェンナは一年以上包囲しても落とせず
結局ラヴェンナ司教の仲介でテオドリックとオドアケルが共同でイタリアを統治するという取り決めでようやく戦争は終わった
その和解の席でテオドリックはオドアケルを暗殺し彼の一族も皆殺しにしてイタリアの支配権を確立し、
かつてのローマ帝国の中心部に蛮族による東ゴート王国が成立する
内政面では丸ごとローマ帝国以来の統治機構をそのまま存続させローマ人の元老議員の助けを借りて統治した
そしてテオドリック自身はアリウス派を信仰していたが
ローマ系住民のカトリック信仰には一切口出しせず他のアリウス派王国のような宗教対立や弾圧もなかった
さらに富国強兵に努め、後からイタリアを狙って侵入してきた蛮族も国境地帯で撃退している
そして一族の女性を各国に嫁がせて婚姻同盟を構築し外交面でも地盤を固めていた
ゼノンの後を継いだ東ローマ皇帝アナスタシウスはテオドリックに貴族(パトリキウス)の称号を贈
り正式なイタリアの支配者として認め、統治される側のローマ人も安定した長期政権を築いたテオドリックを称賛した
「大王」テオドリックの治世は30年以上続いた
ゼノン、テオドリック大王、東ゴート族のテオドリック・ストラボが三すくみで争う影で
東ローマのバシリスクスがクーデターでゼノンを追放して即位してて
そのバシリスクス帝の配下に、オドアケルの兄弟アルマトゥスが懐刀として活躍しててマジカオス
そこらへんも無茶苦茶煩雑すぎて軽く流した
バルカン半島は古代からごちゃごちゃしまくり
テオドリックの寛容な共存政策にも関わらず、カトリックとアリウス派、
ローマ人とゴート人の対立は消えたわけではなかったが致命的なのは後継者問題だった
テオドリックには娘しかいなかったのである
しかたなく娘アマラスウィンタと後継者と見込んだ西ゴート出身の貴族を結婚させたものの
この男は息子アタラリックを残しただけで死んでしまう
テオドリックの晩年には孫のアタラリックはまだ幼児で摂政による統治が避けられないのは明白だった
そして後継者問題にかこつけてローマ人の一部は東ローマ帝国の介入を策動しており、
テオドリックは長年の腹心をも粛清しなければならなかった
各国の情勢も不安定になり始めた中テオドリックは幼い孫と娘を残して526年に没する
テオドリックの死の時点での情勢
イタリアに東ゴート王国、ガリアにフランク王国とブルグント王国、ヒスパニアに西ゴート王国とスエビ王国、アフリカにヴァンダル王国などが成立している

テオドリックを中心に西側ゲルマン諸王国が共存する体制をわずか十数年で作り上げた所
フランク、ブルグンド、西ゴート、スエビ、ヴァンダル、あとドイツのテューリンギアまでカバーしてたんだから恐ろしい
しかも、西ゴート王に自分の腹心の将軍を即位させてたり、マジやり手
後から見るとガリアのフランク王国を中心に西ヨーロッパの秩序が再編されていったように思えるけど
テオドリックの後継者たち次第ではイタリアの東ゴート王国が中心に道もあり得たんだよなぁ
眠らない皇帝のせいで疲弊しまくるまでは、なんだかんだでイタリアが断トツだしね
フランクがトップ取れたのも色んな幸運が重なった結果だし、歴史は面白いよねえ
日本や中国の歴史のほうがわかりやすい
ごちゃごちゃしてるから面白いんだよ!
五胡六朝・五代十国や源平・室町の争乱を分かりやすく解説できる人がいたら
俺、金払ってもいいとさえ思ってるくらいカオスでわけわからないんだが
源平はまだわかりやすいやろ!
室町は…まあ南北朝から義満くらいまでの初期はなんとかなりそうだけど応仁の乱以降の戦国時代前期はマジわからん
周辺の蛮族の侵略を防いでいたがイタリア本国が衰退すると
実質的に独立王国のような状態で現地を統治していた
クロヴィスの時代にはアエギディウスの子シャグリウスが父の跡をつぎ、
周囲のゲルマン諸部族からは「ローマ人の王」と称せられていたという
クロヴィスはこのシャグリウスに戦いを挑み486年にソワソン近郊で勝利する
敗れたシャグリウスは西ゴート王国に亡命するも後にクロヴィス引き渡され処刑された
そしてクロヴィスの元に嫁いできたブルグント王妃クロティルドは
この時代の蛮族としてはめずらしくカトリックの教育を受けた女性だった
クロヴィスの率いるフランク族はゴート族などとは違ってまだキリスト教に改宗しておらず古来の多神教を奉じていた
したがってアリウス派とカトリック(アタナシウス派)との確執とも無縁だったということでもある
そしてクロヴィスは続くアレマニア王国との戦いでキリストに祈ったところ窮地を脱し奇跡的な勝利を得た、
と称して497年に3000人の兵士とともにカトリックに改宗する
これがフランスのキリスト教国家としての最初の第一歩となった
統治上得策と判断したというところだったと思われる
ともあれフランク族がゴート族を始めとする他のゲルマン部族とは違って
アリウス派ではなくカトリックを信仰するようになったという事実はこの後の展開に重大な影響を及ぼしていく
なぜならアリウス派を奉じる西ゴート王国等の諸国は「異端」だとして
自分の戦いは異端者との「聖戦」という大義名分をクロヴィスは使うことができるようになったからである
なんかこの時代がわけわからなすぎて気になったから
いろんな本メモ取りながら読んでたらちょっとだけ整理付くようになった
これは知らなかったわ
聖戦は盛ったけど西ゴートのやつらは三位一体を信じない異端者だからボコらないとね(ニッコリ)みたいなことを言ってたらしい
(ニッコリ)ワロタ
異端者に対する戦いの記述ならなんか読んだ記憶あるわ
当時は民族よりアリウス派かアタナシウス派かの違いが大きかったのかも知れない
国王を失った西ゴート王国は大混乱し、ガリアの領地はクロヴィスにそのほぼ全域が奪われてしまう
クロヴィスはそのままピレネー山脈を超えてヒスパニア(スペイン)に残された西ゴート王国領へと進撃しようとするが
ここで邪魔をしたのが東ゴート王テオドリックだった
テオドリックはクロヴィスがあまりに強大になるのを恐れ背後からフランク軍を攻撃する構えを見せたのである
東ゴートの参戦でクロヴィスはヒスパニアの征服を諦めフランク族の領土はピレネー山脈の北に限られることになった
508年にクロヴィスは東ローマ帝国から執政官に任命され、
その権力はローマ帝国のお墨付きを得た「合法的」なものになった
そして晩年には配下として戦ってきたフランク族の小王を罠にかけ次々と粛清し、
自分の子孫のライバルになりそうな勢力を根こそぎ消滅させてしまう
こうしてメロヴィング朝フランク王国の支配が万全になった
シャグリウス、アレマニア、西ゴート、ブルグントと群雄割拠だったガリアは大部分がフランク王国の勢力に属することになった
これがそのまま後世のフランスという国家の枠組みになったといってもいい
フランスという言葉自体フランクが変化したものだからね
クロヴィスの征服地

息子たちの代にブルグント王国は併合され更にドイツ方面にも領土は拡大し、
フランク王国の中にはいくつもの分王国、ネウストリア、アウストラシア、ブルグント、などが分立することになった
これらの分王国はクロヴィスの子孫の間で統一と分割を繰り返したが、
最終的にアウストラシア王国から宰相家系であるカロリング一族が徐々に台頭する
最終的にメロヴィング朝がカロリング朝のピピンに王位を奪われるのはずっと後の8世紀のお話
・シアグリウス(いわずもがなのローマ人王。子孫はフランクの行政官として大活躍)
・ラグナカール(サリー・フランク系のフランク王。若年で即位したクローヴィスを支援しまくったが族滅されました)
・シギベルト(リプアーリ・フランク系のフランク王。ケルンを中心に勢力を奮った。クローヴィスに唆された息子に暗殺された)
・クロデリック(シギベルトの息子。クローヴィスに唆されて父王を暗殺した後、クローヴィスに族滅される)
・アラリック2世(西ゴート王。ヒスパニアの反乱で主力が出払った隙をクローヴィスにつかれて首を獲られる)
・グンドバッド(ブルグント王。兄弟王との内戦にクローヴィスが介入してきて危うく死にかける。何とか乗り切ってブルグンド第二王国の全盛期を築く)
クロヴィスつよすぎ
目指していたのは西ローマ帝国領ではもっとも肥沃なアフリカ属州、
紀元前にはカルタゴという国があったところだった
(アフリカ属州はローマ領になっているアフリカ全体のことではなく今で言うならチュニジアの一帯)
当時のアフリカ総督のボニファティウスは同じ西ローマの将軍アエティウスと権力闘争を繰り広げており
現地の防衛どころではなかったという情報をガイセリックは掴んでいたらしい
老若男女を引き連れたヴァンダル族は1年ほどで目的のアフリカ属州にたどり着き
東ローマ軍の妨害を受けつつも435年には州都のカルタゴ市も占領した
こうしてアフリカの地に遥か北方からやってきた民族のヴァンダル王国が成立した
ガイセリックは海軍をさらに強化し西地中海の覇権を確立する
ヴァンダル族のたどった経路

イタリアに対して牙を剥き410年の西ゴート王アラリック以来のローマ市略奪を行っている
身代金の取れそうな富裕階級や技術者を捕虜にして連れ出したことでヴァンダル王国はますます繁栄する
この時ウァレンティニアヌス三世の娘も誘拐し長男のフネリックの妻とした
ヴァンダル王国は他の蛮族の王国のように形式的にローマ皇帝の臣下として現地を委託されたという建前ではなく
ローマの皇帝と対等の立場で条約を結んだり外交をするほどの強国になっていた
最終的に、ヴァンダル族単独では王国を維持できないレベルまで追いつめられてしまう
そこで、即位したガイセリックが王がいなくなったアラン族と同盟して、起死回生のアフリカ渡航敢行して復活するんだがら、ガイセリック、マジ主人公で英雄
ガイセリックはイケイケドンドンタイプで何でもとりあえず実行して成功させちゃう人っぽい
461年には西ローマ皇帝マヨリアヌスがヴァンダル王国を討伐するために
巨大な艦隊を建造しようとしたがガイセリックは先手を打って敵の拠点を襲撃して計画を頓挫させた
468年には東ローマ皇帝レオン一世が大金を投じて10万と称する大軍を集め陸海からヴァンダル王国攻撃した
ガイセリックは海戦に勝利しアフリカに上陸した軍の輸送船団を奇襲してこの東ローマの国威をかけた侵攻も撃退する
ガイセリックは477年に88歳で没した
ヴァンダル王国の版図

とてもじゃないけど覚えきれない
ここらへんは各国史の領域に踏み込んできてるから自国に関係の深いところしかここまで詳しくはやらないと思う
正直ここらへんは自分の興味のある国や地域優先で
たとえばフランス好きな人ならとりあえずフランク王国のとこだけ覚えてーって感じで覚えていけばいいんじゃないかな
ブリタンニアはもともとケルト系民族ブリトン人の各部族が割拠している国だったが
紀元一世紀皇帝クラウディウスの時代に征服されて以降ローマ帝国の属州となった
ただ西ローマの属州の中でもブリタンニアは辺境でガリアの安全保障のために征服されたような土地だったので
ローマ文明の浸透の度合いが薄かったという事情がこの島のたどる歴史に大きく影響していく
ガリアが蛮族に荒らされ放題になっていた西暦408年のとこ
ブリタニア駐屯軍団は「もはや属州を守れないホノリウスに皇帝の資格はない」として
将軍にコンスタンティウス三世と名乗らせて皇帝として擁立して反乱を起こした
コンスタンティウスは中央で覇権を争うために海を渡って411年に敗死するのだが、
これ以降ブリタンニアとローマ帝国の縁はほとんど切れてしまった
残ったのは一部のローマの軍制と軍団が駐屯していたロンドンやヨークなどの都市、道路、それにキリスト教くらいのものだった
410年にはホノリウスはブリタンニアに対して「以降ブリタンニアは自分たちの力で防衛するように!健闘を祈る!」みたいな感じの無責任な通達を出している
・ボニファティウス(アエティウスの政敵。アフリカを奪われるわ、アフリカを奪われた結果西ローマは衰退するわ散々)
・ペトロニウス・マクシムス(ウォレンティにアヌス3世の後のローマ皇帝。ガイセリックさえ居なければ……(なお、アウィトゥスがガリアでアップしてる模様))
・マヨリアヌス(言わずもがなの最後の有能な西ローマ皇帝。ガイセリックさえ居なければ……(なお、リキメルがイタリアでアップしてる模様))
・マルキアヌス(東ローマ皇帝。即位前にアフリカ遠征に参加して捕虜になってた。マルキアヌス帝治下ヴァンダルに手を出さなかった)
・バシリスクス(レオ1世の甥。468年の遠征で醜態を晒した結果、皇帝候補から外される。後にゼノンを追放するが復活したゼノンに敗れて流刑地で死去)
・アンテミウス(468年の遠征で大敗した結果、権力を喪失し、リキメルとの内戦勃発)
も追加で
こう見るとアフリカ属州は西ローマ領なのに東ローマもかなり介入してきてるんだよね
やっぱり制海権を渡したらやばいと思ってたんだろうな
そっかぁ(´・ω・`)
中世になってからのケルト系の歴史も興味あるけどマイナー過ぎて調べるの苦労しそう
完全に誤解してたわ
>>163
七王国時代の小国調べたことあるけど、頭ハゲ上がりそうになったしなあ
アルモリカもヒスパニアに勢力伸ばしてたり、俺もよく分からん
そんなブリトン人をまず脅かしたのは北方のカレドニア(現スコットランド)の蛮族ピクト人だった
ピクト人の侵攻に苦しんだブリトン人の有力首長ヴォーティガンは
傭兵として大陸からサクソン人のヘンギストとホルサという兄弟に率いられた一団を雇い入れる
このサクソン人がピクト人を追い払ったあとブリタンニアの豊かさに気づしまった
彼らはブリトン人に対して牙を剥き次々と故郷の仲間を呼び寄せる
やがてサクソン人だけではなく近隣のアングル人、ジュート人、フリジア人などの他のゲルマン系蛮族もブリテン島に襲来、
ブリタンニアは数百年がかりでこれらの民族に占領されていく

アルモリカ(ブルターニュ)の事情は正直あんま知らないやw
「英語」と呼ばれる一つの言語を話すようになっていく
イングランドという地名もアングル人の地という意味
ブリトン人もただやられる一方だったわけではない
西暦500年前後にはアンブロシウスという武将が「ベイドン山の戦い」と呼ばれる半ば伝説的な戦闘があり
アングロサクソン人の軍隊に大勝に半世紀は侵攻を押し留めたという出来事もあったようだ
このアンブロシウスが後世アーサー王のモデルとして伝説化されたと言われている
アングロサクソンに半分くらい占領されたブリタンニア

八世紀にはウェールズ、コーンウォール、ストラスクライドなどの辺境に追いやられていった
さらに海を渡ってガリアのブルターニュ半島に逃げた一団もいた
ブルターニュは「小ブリテン」という意味だったりする
最終的にはイングランドではブリトン人の末裔はウェールズだけに残って今に至っている
一方アングロサクソン人の立てた王国は主要なものが
ケント、エセックス、ウェセクッス、サセックス、イーストアングリア、ノーサンブリア、マーシアと7つあった
このためはブリタンニアの初期中世は七王国時代とよばれる
最終的にこれらの王国はウェセックス王国に統一されてイングランド王国が成立する

話は6世紀の東ローマ帝国に飛ぶ
・西ローマ皇帝アンテミウスの代に、アルモリカ王がイタリア目指して突如南下
リキメルの依頼を受けた西ゴート王が撃退してる
・クローヴィスが同族粛清しまくった結果、軍事力を一時的に弱体(遠征に差し支えるレベルで粛清しすぎたらしい)
この軍事的に危機に陥ったクローヴィスを支えたのがアルモリカのブリトン人で
この恩義からか、フランク王国はあまりアルモリカに手を出していない
そもそもブリトン人が来る前のアルモリカってどうなってたんだ…?
アルモリカ人っていうのがいたのか
普通にローマの支配下だよん
バガウダエという農民反乱が頻発してる所見ると、ブリトン人が居住してたっぽい
アルモリカに住むブリトン人とブリタニアに住むブリトン人を区別されてた節が俺の知る限りないし
ただ、それ以前の原住民となると俺の知識じゃ分からん。ケルト人は物凄い昔から居るし
アナスタシウスという皇帝が517年に後継者を残さず没すると
東ローマ内の有力者たちの妥協の結果ユスティヌスという将軍が皇帝として即位した
このユスティヌスはバルカン半島の貧農の家に生まれ、
若いころ軍隊に入って一兵卒から将軍にまで出世した叩き上げの人物だったために
文字の読み書きもできずすでに老齢でもあったことも手伝って東ローマ帝国の政治を主導する能力に乏しかった
そこで皇帝の補佐役として活躍したのがその甥のユスティニアヌス(482-565)という男だった

古代ローマ以来の古典的教養を身に着けていた
そして527年皇帝に即位したユスティニアヌスはローマ帝国を再興するという野望に基いて行動していく
国内では古代ローマ以来の無数の雑多な法律を整理して『ローマ法大全』を編纂し、
聖ソフィア大聖堂を建築するなどの業績を残した
一方で、対外的には各国の王位をめぐる争いに介入して軍隊を送り込んでいく
ユスティニアヌス自身は首都コンスタンティノープルにあって外征には全く参加しなかったが
彼には天才的な将軍ベリサリウスがいてその計画を支えていた
名将ベリサリウス

ヒャッハー、楽しい楽しいゲルマン諸王国時代の幕切れじゃー
西ローマ皇帝ウァレンティニアヌス三世の娘エウドキアとの間に産まれたヒルデリックが王だったが、
フネリックの時代からローマ系住人とヴァンダル族、カトリックとアリウス派というもはや伝統的な対立が消えていなかった
そしてヒルデリックやその先王トラサムンドのようにアリウス派を信仰するヴァンダル王でありながら
ローマ文化に好意的でラテン語の詩を解するような者がいる一方
そのような王の存在を快く思わない派閥に支持されたガイセリックのひ孫のゲリメルが530年にヒルデリックを廃位しヴァンダル王に即位していた
最後のヴァンダル王ゲリメル

けど産業は無理そうだな
次回は近世を頼む
蛮族が侵入して西ローマ滅亡
跡地に複数の蛮族王国が爆誕して手探り状態
と思ったら恐怖の滅亡タイム
まあ西ローマ滅亡くらいまで読んだらあとは興味の湧いたところだけ見てくれ
近世はもっと勉強しないと…
ありがとう
よかったらついでに年代も頼む
375年から侵入開始!
↓
いろんな蛮族王国につまみ食いされた西ローマ帝国は476年に滅亡
↓
6世紀になって逆襲の東ローマ帝国が動き出し蛮族王国滅亡タイムが始まる

こうしてヴァンダル戦争が始まる

アフリカに上陸したベリサリウスは兵士の略奪を徹底的に禁止し
現地のカトリック系住民の支持を得て簡単に都市を制圧していく
そしてたった二度の、しかもそれほど大規模とはいえない会戦でヴァンダル軍を再起不能にした
534年には逃走したゲリメルも捕虜となりヴァンダル王国はあっけなく滅亡した(ヒルデリックは既にゲリメルに殺されていた)
「なんという虚しさ、なんという虚しさ 、すべては虚しい」という旧約聖書の伝道の書の言葉を引用して己の運命を嘆いたと言われる
ゲリメルは小アジアに領地を与えられそこで余生を過ごした
かつて東西のローマ帝国を脅かしたヴァンダル王国が
ベリサリウスの手にかかればたった一年で征服されたという事実はユスティニアヌスの自信を深め
次の事業として東ゴート王国の征服を決意させる
・ガイセリック以降、国内的に平和で軍事力が低下してた
・東ゴートの協力が絶対不可欠な防衛戦略取ってた
(ゲリメルのクーデターで、東ゴートとは手切れ状態だった)
・ムーア(ベルベル)人が急速に力をつけて反乱起こしていて、東ローマ軍への対処が遅れたから
まあ、テオドリック大王死去の余波をもろにくらった形ですわ
アフリカでは現地住民にローマ系カトリックとローマ系ドナティウス派のキリスト教徒同士の対立に加え
ローマが作った都市文明圏からは少し外れるベルベル系住民もいて他の地域より統治するのには複雑だったということもありそう
いずれにせよその分析ができなかったユスティニアヌスの罪は大きい
そこをねじ伏せた、歴代のアフリカ総督たちは偉大だよね
具体的には、ソロモン、ゲルマヌス、ヨハネス・トログリタとかね
テオドリック大王に男子がいなかった
そのため長女アマラスウィンタがしばらく息子のアタラリックの摂政として統治していた
アマラスウィンタは親東ローマ帝国的な政策を取りユスティニアヌスとの仲も良好だった
だがテオドリック大王の甥のテオダハドという人物が王位を狙って
反ローマのゴート主義者たちを取り込んで親ローマ派のアマラスウィンタと対立する
しかも534年アタラリックは成人直前にして病死してしまう
母のアマラスウィンタが女王として即位したがテオダハド一派との確執は激化し、翌年アマラスウィンタは王位を追われ暗殺された
ここまではヴァンダル王国への侵攻とほとんど同じような過程をたどった
しかし東ゴート王国にはヴァンダル王国のような被征服者の現地のローマ系住民・カトリックと
征服者の東ゴート人・アリウス派との対立はずっと少なく国家の体制も強固だった
しかもユスティニアヌスはあまりにも優秀なベリサリウスに大軍を預けるのを躊躇し、10万の兵力を擁すると言われる東ゴートと戦うのに一万人程度を与えただけでそれ以上の援軍を送ろうとしなかった
ゴート軍はテオダハドの責任を追求し、彼を追放して将軍のウィティギスを新しい王に即位させた
以降このウィティギスとベリサリウスの間での戦いは四年間続き長期の包囲戦の舞台となったローマも荒廃する
最終的にベリサリウスは策略をめぐらし540年にウィティギスを下して首都ラヴェンナに入城する
これで東ゴート王国との戦争も決着したかに見えた
ユスティニアヌスは東方で始まったササン朝の侵攻に対抗するためにベリサリウスをコンスタンティノープルに呼び戻した
だが東ゴート族は諦めなかった
東ローマの駐留軍は次々に破られ情勢は完全にひっくり返り征服戦争はまたやり直しになってしまう
東ゴート王トティラ

ベリサリウスは544年にイタリアに戻りトティラと戦ったが決着は容易につかず、
ローマ市は戦争終結まで四度も争奪の対象になるなど消耗戦が繰り広げられた
ベリサリウスは政治情勢の変化によって再び召喚され、
代わって派遣された宦官のナルセスという将軍がトティラを戦死させたのは551年のことだった
その後も抵抗を続けた東ゴート王国が完全に滅びるのは553年
20年近く続いた泥沼のゴート戦争の結果イタリア全土は決定的に衰退しかつてのローマ帝国の中心地の面影は消えてしまった
皮肉なことに古代ローマ時代の繁栄をイタリアから消し去ったのは蛮族ではなく同じローマ人だった
長期に及んだ東ゴート戦争

西ゴート王アキラに対して反乱を起こしたアタナギルドがユスティニアヌスに援助を求めたのでたる
しかし東ローマの援助を受けたアタナギルドはアキラを倒すと今度は東ローマ軍を攻撃し始める
結局ヒスパニアでは東ローマは沿岸部分の僅かな領土しか保持できなかった
緑がユスティニアヌス一代で征服した土地

地中海沿岸の大半を取り戻しかつての地中海帝国としてローマは再興されつつあるかに見えた
コンスタンティノープルの目の先のバルカン半島では新たな蛮族スラヴ人の侵入が始まっていてそちらに兵力の殆どがつぎ込まれた
イタリアでは国王アルボインに率いられたゲルマン系のランゴバルド族が侵入
後継者のユスティヌス二世は金が掛かり過ぎるだけで荒れ果てて旨味のないイタリアの防衛を諦め、
イタリアの北部を中心としてにはランゴバルド王国が成立した
ランゴバルド族の間では国王の権力は他の蛮族よりも弱く
半島の中南部ではスポレート公国やベネヴェント公国が実質的な権力を握っていた
ランゴバルド王国。オレンジが残された東ローマ領

ナルセスが傭兵として連れてきたランゴルドバ族によって支配された
そういえばナルセス自身もめちゃくちゃ財宝溜め込んでたみたいな話があったな
東ゴート統治下の元老院議員で、アマラスウィンタ死後東ローマに帰順
エジプト長官、シチリア長官を歴任した後、西ゴート王国の内紛に介入し沿岸部を東ローマ領にする
地味だけど経歴が面白い人物
アラビア半島のメッカでムハンマドという男が天使ジブリールから
「啓示」をうけてイスラームという新しい宗教を広め始める
この勢力は632年のムハンマドの死の時点ではアラビア半島を統一し、
カリフと呼ばれるムハンマドの後継者たちはその後中東に領土を持つ二つの大国ササン朝ペルシアと東ローマ帝国に戦いを挑んだ
イスラームはすさまじい勢いで次々と二大国から領土奪い征服していく
イスラームの拡大を簡単に年表で示すと
・636年 東ローマ帝国からシリアを征服
・637年 ササン朝からイラクを征服
・638年 東ローマ帝国からパレスチナ、エルサレムを征服
・640年 東ローマ帝国からエジプトを征服
・642年ササン朝からペルシアを征服。ササン朝滅亡へ
・698年 東ローマ帝国からアフリカを完全に征服
帝都コンスタンティノープル近縁のバルカン戦線まで危機的状況に陥ってるのは帝国全体が傾いてる証左
スラヴ民族とか遊牧民とか本当はまだまだ大移動と言えそうな情勢は続いてたんだよね
東ローマを詳しくやるなら飛ばせないけど今回はゲルマン蛮族くんたちが主役なのでw
グアダレテの戦いのたった一度で西ゴート王国軍は壊滅し翌年には主要な都市はほぼすべてイスラームの手に落ちた
この時生き残った西ゴート王国の貴族ペラヨが北のアストゥリアス地方の山岳地帯に逃れてゲリラ戦を展開
ここから1492年まで続くレコンキスタの長い歴史が始まる
イスラームが征服した地方

ササン朝ペルシャ出さないと説明できないから仕方がないけどね
でも、もっとも成功した征服地アフリカ総督府とか、栄光と没落の両方を経験したヘラクレイオス1世とかまだまだ面白い題材に事欠かないんだぜえ
ビザンツ帝国史スレももうちょい勉強したら立てたいなぁ
頑張れば1スレでテオドシウスから滅亡までいけそうだし…
1スレで東ローマの勃興から滅亡までやるって、時間と体力の方が先に尽きそうだな
たしかに…w
犬畜生に陥っていく王・貴族・聖職者、フランク王国では血みどろの内乱が止まらず
ブリタニアではデーン人という外圧がなければ一つにまとまれなかったウェセックス王国とか
色々やろうぜー(無茶振り)
今度スレ立てるときはそこらへんもカバーしよう
イングランド史スレも昔立てたことあるけどまたやりたい
有名なトゥール・ポワティエの戦いでフランク王国の実権を握る宰相カール・マルテルに敗れる
このカール・マルテルの息子小ピピンがクロヴィスの子孫から王位を奪い、カロリング朝フランク王国が成立
ピピンの子のカールはその領地をさらに広げドイツ方面とイタリアのランゴバルド王国を併合しローマ教皇保護し、
東ローマ帝国と縁を切ろうとしていた教皇から新たに「ローマ皇帝」に任命される
フランク王国国王からローマ皇帝に出世したカール大帝

これが神聖ローマ帝国の前身であり、本格的な中世ヨーロッパ世界の幕開けにもなるんだけどそれはまたいつか
おしまい
・バルカン半&アナトリア:東ローマ帝国
・イタリア:ランゴバルド王国→フランク・神聖ローマ帝国
・ガリア:フランク・神聖ローマ帝国
・イベリア:西ゴート→イスラーム帝国
・シリア&アフリカ→イスラーム帝国
・ブリタニア:七王国→ウェセックス王国
というブロックに分割されていったということですね
東ローマ・イスラーム・神聖ローマという三大強国に
ヴァイキングあわせた4勢力がその後のヨーロッパ史を大雑把に彩っていくことになる
わかりやすいでしゅ
オスマン・トルコこわい
俺がやったら人物紹介で終わりそうな気がするけどな
時間も知識も足りないけどさ
以前レコンキスタの本ちらっと覗いてみたら相当混沌としてそうで面白そうだった
した!
Qゲルマン民族はローマ帝国を破壊しようと思ってやってきたの?国取り合戦的な
Aいいえ。西ゴート王アタウルフなんかは「昔はローマ帝国をゴート帝国にしてやろうと思っていた」とか言ってますが
多分そこまで考えてた人はほとんどいません。蛮族の大半は単に少しでもいい生活環境を得ることが第一の目的だったと思われる
Qゲルマン民族に占領された地域ではローマ人は虐殺されていなくなったの?
Aいいえ。そもそも蛮族って一つの集団で最大10万人くらいでそれ以上の集団で動いたら餓死しちゃう
一方ローマ帝国の住民は一つの地域に100万単位でいるんだからこの関係は数的に覆せない
Qでもローマ文明はゲルマン民族の支配によって消え去ったんでしょ?
Aそうとも言えない。
蛮族は数で何倍もいるローマ系住民を統治していかなくてはいけない訳だけど、
彼らは都市に住む人たちで森から出てきたゲルマン民族とは何もかも違う
役人・官僚としてローマ系住民を登用しなければ蛮族国家など成立しようがなかった
Qじゃあ芸術とか技術とかいろいろ衰退したのはなんで?キリスト教が悪いんか?
A一口で言うのは難しいけど最大の要因は各地位ごとの交流・交易が衰退したことだと思う
富が一箇所に集まるということがなくなれば芸術とか大建築のための技術も必要なくなる
この時代のキリスト教の教会はむしろ古典ラテン語の文献などを保存してローマ文明を残した側
キリスト教は下層民から広まった宗教だから学問をするには異教の知識を借りないと不可能だった
だから修道院で写本はやったものの禁書とされた為に知識の共有ができずにやがてアリストテレスもキケロも忘れられた
アカデメイアもムセイオンも閉鎖されて学者も文献もペルシアに流出した
それでもコンスタンティノープルの図書館には古代の文献が残っていたと思われるがそれも第四次十字軍で焼失した
それらの復活にはイスラムから忘れられた知識がもたらされ各地の修道院が解放されるルネッサンスを待つしかなかった
カロリング・ルネサンスがあるやん
古墳作ってたよ
卑弥呼は弥生時代でしょー
俺の一番ピンポイントなローマ年代は1〜4世紀だから
アスペニスレは俺にとっていつも終盤しか放送されていないようなもんだという
俺そのへんの古代ローマは塩バァの本で読んだくらいの知識しかないんだよなぁ
面白そうではあるけれどなんていうか歴史のカオスなところに惹かれるので…
まあ否定はできん
まあアーカイブして暇なときにでも読んでくれ

【イチオシ】MOBIUS FINAL FANTASY
引用元: http://viper.2ch.sc/test/read.cgi/news4vip/1457262717/






























































































1 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2016年03月14日 03:12 ▼このコメントに返信 寝る前に見つけて最後まで読んでしまった
2 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2016年03月14日 03:38 ▼このコメントに返信 アーリア人がいなかったら世の中もっと平和だったろうに
3 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2016年03月14日 03:50 ▼このコメントに返信 ヨーロッパ全域がクソなのはコレより前の遺恨がずーっと根付いてるからだってのはなんか感慨深いな
まだ太古からの戦争が終わってないんだよなあ
4 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2016年03月14日 04:00 ▼このコメントに返信 キリスト教がローマを滅ぼした
中世は1000年間ずっと暗黒時代だった
↑ローマ史を少しかじった程度の奴にありがちな間違いだけどこの意見が2chで結構幅を利かせてるのが残念
5 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2016年03月14日 07:08 ▼このコメントに返信 21ページて
6 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2016年03月14日 07:22 ▼このコメントに返信 最後のQ&Aが良いね、教科書丸写し的なモンだとスルーされがちな部分だから
7 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2016年03月14日 09:29 ▼このコメントに返信 世界史は高校の教科書程度の知識しかないけど好きだから読み込んでしまった
すごく面白かった
8 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2016年03月14日 13:13 ▼このコメントに返信 Civ4やりたくなった
ルネサンス時代に入るまでくらいが一番おもしろいは
9 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2016年03月14日 21:51 ▼このコメントに返信 ※4
反対感情は良く聞くけど、反対の見解と理由を聞かねーぜ
「敬虔なカトリックの社会がそんなに酷いはずない」ってのは前に見たことあるけど
10 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2016年03月14日 22:27 ▼このコメントに返信 面白そうなんだけどカタカナの人名が覚えられなくって困る
11 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2016年03月15日 03:28 ▼このコメントに返信 米9
そりゃお前が不勉強だからだろ
いくらでもあるしこのスレにもちょこっと書いてあるのに読んでないのか
12 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2016年03月15日 04:28 ▼このコメントに返信 良スレなのにコメが少ない
ネットなんてこんなもんだな
13 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2016年03月15日 07:18 ▼このコメントに返信 ※11
勉強すればするほど中世ヤベェになりつつあるが・・
数百年前の時代の遺跡を見て「こんな立派なもの人間には作れぬ、悪魔の仕業」は哀れすぎんだろ・・
14 名前 : 暇つぶしの名無しさん投稿日:2016年03月15日 08:05 ▼このコメントに返信 米13
中世には盛期には古代と比べ人口が倍以上になり農耕技術も製鉄技術も進歩してスコラ学が合理的思考を養ったことも知らないやつが「勉強した」だって?